2006年07月31日
悩む 友達
先週の金曜レッスン記事「落ち込む…」では、皆さんからのアドバイスをありがとうございました。自分中心に考えていたこともあったとの反省もふまえて、レッスンを続けていきたいと思います。
さて、もうひとつ、マイナス波動の出来事があったと書きましたが、それは、一緒にレッスンをとっているお友達のことです。このレッスンの正規の生徒は、今期は彼女と私の2人だけです。振り替えやレッスン券を使っていつも、1~3人の人が入ってくるので、そのことを私は、最近認識しました。
私は、彼女のことを前に「足長スコート美人さん」とニックネームをつけて記事に登場させています。
彼女は上手で、彼女と一緒のレッスンは張り合いがあります。私が彼女のプレーで好きなところは、ボールをよく追うことです。本当の上級者は技術もあるがあきらめず、ボールを追う人だと思います。玉に傷は、私は彼女のほうが(絶対)年上だと思うのですが、彼女はまじに、「同年代だから~」とか「同い年よね」と皆に言うんです~。彼女、大学を卒業して就職された息子さんがいるんですよ~。
でもこれは私への愛情表現だとして受け止めています。
(そういえば、リュリュちゃんにも、大学1年の娘さんがいるな~、でも、リュリュちゃんの同い年は許せる。)
先週のレッスンの始めに
「ひろちゃん、ちょっと言わなきゃいけないことがあるんだ~。」
と話しかけられました。話を聞くと
「自分のせいで、このクラスにほかの人が入ってこないんで、
9月からこのレッスンをやめる」
とおっしゃるのです。
私も常々、人が少ないな~?とは、思ってたんですが。
理由は
「自分がやめることによって、レベルを下げなければ、
クラブと他の生徒さんのためにならない」
ということでした。
「そんな、あほな~、そんなことを、他の方、
気にするんですか?」
と言えないので心の中で思いました。
彼女は約2年半、このクラスにいるらしいです。彼女の存在によって上中級のクラスが上級になったらしいです。そして、それ以来、振り替えでレッスンをとりたい彼女の友人が彼女に電話をかけてきて
「入ってもいい?」
と気を使い、彼女もコーチに
「入れてあげてください」
と打診しているということでした。
2年間も同じクラスでしかも、上手でコーチも一目置いているのは、わかりましたが、そんなことがこの現代社会にあるのか?と思いました。彼女自身、自分の態度に悪気はないが他の人に、遠慮させる態度をしてしまうと、おっしゃっていました。
彼女の悩みを素直に聞いていた自分が、不思議です。
純粋にそう思っているみたいだったので。
普通なら、何思い上がってんだ!と不快に思うと思うんですが。
「新しい期が始まる9月までは、とにかく続けてみましょうよ、
私も8月は頑張ります。」
「そうね。」
ということに、なりました。
考えてみると、主婦のテニスの世界には、理解できない事があるんですね~。
男性の方には、理解できない世界かもしれませんね。
(でも、レッスンをやめたい理由が本当にそうなのかはわからないところもあります。)
さて、もうひとつ、マイナス波動の出来事があったと書きましたが、それは、一緒にレッスンをとっているお友達のことです。このレッスンの正規の生徒は、今期は彼女と私の2人だけです。振り替えやレッスン券を使っていつも、1~3人の人が入ってくるので、そのことを私は、最近認識しました。
私は、彼女のことを前に「足長スコート美人さん」とニックネームをつけて記事に登場させています。
彼女は上手で、彼女と一緒のレッスンは張り合いがあります。私が彼女のプレーで好きなところは、ボールをよく追うことです。本当の上級者は技術もあるがあきらめず、ボールを追う人だと思います。玉に傷は、私は彼女のほうが(絶対)年上だと思うのですが、彼女はまじに、「同年代だから~」とか「同い年よね」と皆に言うんです~。彼女、大学を卒業して就職された息子さんがいるんですよ~。
でもこれは私への愛情表現だとして受け止めています。
(そういえば、リュリュちゃんにも、大学1年の娘さんがいるな~、でも、リュリュちゃんの同い年は許せる。)
先週のレッスンの始めに
「ひろちゃん、ちょっと言わなきゃいけないことがあるんだ~。」
と話しかけられました。話を聞くと
「自分のせいで、このクラスにほかの人が入ってこないんで、
9月からこのレッスンをやめる」
とおっしゃるのです。
私も常々、人が少ないな~?とは、思ってたんですが。
理由は
「自分がやめることによって、レベルを下げなければ、
クラブと他の生徒さんのためにならない」
ということでした。
「そんな、あほな~、そんなことを、他の方、
気にするんですか?」
と言えないので心の中で思いました。
彼女は約2年半、このクラスにいるらしいです。彼女の存在によって上中級のクラスが上級になったらしいです。そして、それ以来、振り替えでレッスンをとりたい彼女の友人が彼女に電話をかけてきて
「入ってもいい?」
と気を使い、彼女もコーチに
「入れてあげてください」
と打診しているということでした。
2年間も同じクラスでしかも、上手でコーチも一目置いているのは、わかりましたが、そんなことがこの現代社会にあるのか?と思いました。彼女自身、自分の態度に悪気はないが他の人に、遠慮させる態度をしてしまうと、おっしゃっていました。
彼女の悩みを素直に聞いていた自分が、不思議です。
純粋にそう思っているみたいだったので。
普通なら、何思い上がってんだ!と不快に思うと思うんですが。
「新しい期が始まる9月までは、とにかく続けてみましょうよ、
私も8月は頑張ります。」
「そうね。」
ということに、なりました。
考えてみると、主婦のテニスの世界には、理解できない事があるんですね~。
男性の方には、理解できない世界かもしれませんね。
(でも、レッスンをやめたい理由が本当にそうなのかはわからないところもあります。)
2006年07月29日
落ち込む…
昨日は、リュリュちゃんの心洗われる記事で、頑張るぞ~といつもの金曜レッスンにいったのですが、落ち込んじゃいました。
私がマイナス思考なのでしょうか?
コーチとの、やりとりで、完全にマイナスの波動でした。
5月から初めてレッスンをとり始めて3ヶ月目です。一応上級クラスに入っています。コーチもそのクラブでは評判のよいコーチです。段々、メンバーとコーチとも気心が知れてきて、コーチも結構、きつい口調でアドバイスしてくれるような雰囲気になっていました。馴れ合いの雰囲気より厳しい方がいいと思っているので、少々のことをいわれても、めげるひろちゃんではないんですが、昨日は、ちょっと…
練習内容を、説明すると長くなるので、どんなやりとりだったかだけ書きます。
コーチが指示した所に、ボールがいかない時
「どこ打ってんですか~、あそこに打てといってるでしょ、
何考えてんですか?
ちゃんと考えて打ってくださいよ~。」
前衛で、パートナーと、前後の動きが合わない時
「どうして、この時、前に出るんですか?
ちがいますよ、全然、ちがいます!!」
こんなやりとりも、ボールが途切れないので、いつが「この時が」とか、混乱する時もあります。口調も、結構きついんですが、本当のことを言われてるんでしょうがないです。
しかし、私が納得いかないのは、コーチが後衛から球を出して、生徒2人を相手にアプローチショットから、ゲーム形式をする練習の時です。もう一人生徒がコーチ側の、前衛にはいります。メインはコーチとそのクロス側の生徒の打ち合いです。しかし、ゲーム形式ですから、ラリーの流れで、コーチと組んでいる前衛の私の近くにも、チャンスボールが上がってきます。その時、ボレーなりスマッシュなりで決まれば、いいのですが、決まらなかった時
「決まらないんなら、今のは、手を出さない方がいいです。」
と言われました。
確かに、私が、手を出さなくてもコーチは後ろで、いい球を、返すことができたでしょう。
また、その後、私の方に中程度のスピードの球がきたんです。それを、わたしはロブボレーで前衛の上を抜きました。でも、それが甘くなってしまいました。
その時、コーチが
「なんで、そんな球を打つんですか、
その前も、そのその前も失敗したでしょ、
そんな球打つんなら、打たないほうがましです。」
もう、私は無言だったんですが、次、上がってきた球を、空いているところに決めました。そしたら、コーチは
「そうですよ、それでいいんです。」
と、さらっといいましたが、なんか後味悪くて、落ち込んじゃいました。
ですから、コーチと組んだ時、私は、思い切ってプレーができません。
他の友達に聞くと「コーチに任せてればいいのよ」という人もいます。
コーチが殆ど、動いている長いラリーのすえ、私のそばにボールが決められると
「今のは、あなたのボールでしょ、何してるんですか?」
といわれます。
ラリー中、常に動いてないと急には、動けません。
ミスるならコーチに任せようと思ってしまったら、急な動きに対応でしません。
たいていの言葉は、大丈夫なんですが、
「そんな球打つんなら、打たないほうがまし」
には、落ち込んじゃったんですよ~。
肩を落として、クラブを去ろうとした時、受付のお姉さんに
「ひろちゃんさん、8月分、まだ未納となっております。
お払いください」
と、声かけられました。
もう1ヶ月、頑張ってみま~す。
もひとつ、マイナス話があったんですが、また、次にします~。
それでは、ごきげんよ~
私がマイナス思考なのでしょうか?
コーチとの、やりとりで、完全にマイナスの波動でした。
5月から初めてレッスンをとり始めて3ヶ月目です。一応上級クラスに入っています。コーチもそのクラブでは評判のよいコーチです。段々、メンバーとコーチとも気心が知れてきて、コーチも結構、きつい口調でアドバイスしてくれるような雰囲気になっていました。馴れ合いの雰囲気より厳しい方がいいと思っているので、少々のことをいわれても、めげるひろちゃんではないんですが、昨日は、ちょっと…
練習内容を、説明すると長くなるので、どんなやりとりだったかだけ書きます。
コーチが指示した所に、ボールがいかない時
「どこ打ってんですか~、あそこに打てといってるでしょ、
何考えてんですか?
ちゃんと考えて打ってくださいよ~。」
前衛で、パートナーと、前後の動きが合わない時
「どうして、この時、前に出るんですか?
ちがいますよ、全然、ちがいます!!」
こんなやりとりも、ボールが途切れないので、いつが「この時が」とか、混乱する時もあります。口調も、結構きついんですが、本当のことを言われてるんでしょうがないです。
しかし、私が納得いかないのは、コーチが後衛から球を出して、生徒2人を相手にアプローチショットから、ゲーム形式をする練習の時です。もう一人生徒がコーチ側の、前衛にはいります。メインはコーチとそのクロス側の生徒の打ち合いです。しかし、ゲーム形式ですから、ラリーの流れで、コーチと組んでいる前衛の私の近くにも、チャンスボールが上がってきます。その時、ボレーなりスマッシュなりで決まれば、いいのですが、決まらなかった時
「決まらないんなら、今のは、手を出さない方がいいです。」
と言われました。
確かに、私が、手を出さなくてもコーチは後ろで、いい球を、返すことができたでしょう。
また、その後、私の方に中程度のスピードの球がきたんです。それを、わたしはロブボレーで前衛の上を抜きました。でも、それが甘くなってしまいました。
その時、コーチが
「なんで、そんな球を打つんですか、
その前も、そのその前も失敗したでしょ、
そんな球打つんなら、打たないほうがましです。」
もう、私は無言だったんですが、次、上がってきた球を、空いているところに決めました。そしたら、コーチは
「そうですよ、それでいいんです。」
と、さらっといいましたが、なんか後味悪くて、落ち込んじゃいました。
ですから、コーチと組んだ時、私は、思い切ってプレーができません。
他の友達に聞くと「コーチに任せてればいいのよ」という人もいます。
コーチが殆ど、動いている長いラリーのすえ、私のそばにボールが決められると
「今のは、あなたのボールでしょ、何してるんですか?」
といわれます。
ラリー中、常に動いてないと急には、動けません。
ミスるならコーチに任せようと思ってしまったら、急な動きに対応でしません。
たいていの言葉は、大丈夫なんですが、
「そんな球打つんなら、打たないほうがまし」
には、落ち込んじゃったんですよ~。
肩を落として、クラブを去ろうとした時、受付のお姉さんに
「ひろちゃんさん、8月分、まだ未納となっております。
お払いください」
と、声かけられました。
もう1ヶ月、頑張ってみま~す。
もひとつ、マイナス話があったんですが、また、次にします~。
それでは、ごきげんよ~
2006年07月28日
ミラーシステム?!(by リュリュ)
続きです。(ひろちゃん、頑張りますね。今日は)
阪本啓一氏が言っております。「言葉を大切にしましょう。」と
ミラーシステムで感情が伝染する
人間の前頭葉を中心に働くミラーシステムのおかげで、人の感情はそばにいる人に伝染していきます。隣にいる人がイライラしていると、こっちまで何となくイライラしたりすることがありますよねあれがミラーシステムです。ロックのライブで総立ちのノリノリになるのも、夜遅い電車内が疲れた空気で満たされるのも、人の疲れた感情がミラーとなって伝染するからなのです。 (茂木健一郎『脳の中の人生』参照)
ですから、常にプラスの言葉で仕事していると職場も明るくなり、働く皆も元気になります。 マイナスの怒号やグチ、文句ばかりの言葉が漂っていると、その会社はどんどん業績が落ちていきます。
職場の空気は不思議なことに、お客様の手元に届く商品にも伝染します。
電話の向こうのお客様にも伝わってしまうのです。
ウソのようですが、電子メールにも乗っていきます。
ウェブサイトもマイナスの気で満たされてしまいます。
今日から、常にプラスの肯定言葉、「ありがとう」「楽しい」「~しようね」「おかげさまで」だけを使うように心がけてみましょう。
「ばかやろう」「だめじゃないか」「こんちくしょう」「何やってんだ」などのマイナス言葉は使用厳禁。
これで、企業だったら業績アップ
家庭も同じで円満~
感謝の言葉、楽しい言葉を常に言っていると、感謝せざるを得ないことや、楽しくて仕方ない出来事を呼び寄せてくれる波動が出るのです。
だから良いことのドミノ倒し状態になります。良いことは次の良いことを呼び寄せてくれます。
逆も真なり。
マイナスの波動はマイナスの出来事を呼んでしまいます。
以上、途中略したところもありますが、阪本氏のコラムに書かれていました。
阪本氏は、職場を例にとっていましたが、家庭でも学校でもサークルでも どこでも言えることですよね
日々暮らしていると、凹んだり、怒ったりすることはどうしても人間だったらあるはずです。
でも、こういう話を頭の片隅に置いておくのとおかないのでは随分違うはずで~す
テニスでもブログでも楽しくやっていきたいですね~
明日は週一のテニスです。ナイス~な言葉が出るといいなっ
阪本啓一氏が言っております。「言葉を大切にしましょう。」と
ミラーシステムで感情が伝染する
人間の前頭葉を中心に働くミラーシステムのおかげで、人の感情はそばにいる人に伝染していきます。隣にいる人がイライラしていると、こっちまで何となくイライラしたりすることがありますよねあれがミラーシステムです。ロックのライブで総立ちのノリノリになるのも、夜遅い電車内が疲れた空気で満たされるのも、人の疲れた感情がミラーとなって伝染するからなのです。 (茂木健一郎『脳の中の人生』参照)
ですから、常にプラスの言葉で仕事していると職場も明るくなり、働く皆も元気になります。 マイナスの怒号やグチ、文句ばかりの言葉が漂っていると、その会社はどんどん業績が落ちていきます。
職場の空気は不思議なことに、お客様の手元に届く商品にも伝染します。
電話の向こうのお客様にも伝わってしまうのです。
ウソのようですが、電子メールにも乗っていきます。
ウェブサイトもマイナスの気で満たされてしまいます。
今日から、常にプラスの肯定言葉、「ありがとう」「楽しい」「~しようね」「おかげさまで」だけを使うように心がけてみましょう。
「ばかやろう」「だめじゃないか」「こんちくしょう」「何やってんだ」などのマイナス言葉は使用厳禁。
これで、企業だったら業績アップ
家庭も同じで円満~
感謝の言葉、楽しい言葉を常に言っていると、感謝せざるを得ないことや、楽しくて仕方ない出来事を呼び寄せてくれる波動が出るのです。
だから良いことのドミノ倒し状態になります。良いことは次の良いことを呼び寄せてくれます。
逆も真なり。
マイナスの波動はマイナスの出来事を呼んでしまいます。
以上、途中略したところもありますが、阪本氏のコラムに書かれていました。
阪本氏は、職場を例にとっていましたが、家庭でも学校でもサークルでも どこでも言えることですよね
日々暮らしていると、凹んだり、怒ったりすることはどうしても人間だったらあるはずです。
でも、こういう話を頭の片隅に置いておくのとおかないのでは随分違うはずで~す
テニスでもブログでも楽しくやっていきたいですね~
明日は週一のテニスです。ナイス~な言葉が出るといいなっ
2006年07月28日
私たちは水?!(by リュリュ)
アメリカで無料配布の日本人向け生活情報誌があります。
そこで阪本啓一氏のあるコラムに目が留まりました。
今日は、そのコラムのご紹介で~す。
不思議な話をします。ガラスのビンに水を入れ、ワープロで打った文字を貼り付け、水に見せます。すると、文字によって、水の作る結晶の形が変わるのです。(江本勝『水は答えを知っている』より)
「愛・感謝」 完璧と言っていいほどの美しさ
「ありがとう」 バランスの取れた美しい6角形。興味深いのは、Thank you,Merci,Danke,多謝などの同じ意味の各国語でも、似た形の結晶になることです。
「智慧」「Wisdom」 この同義語たちの場合も似たような美しい端正な結晶です。
「~しようね」 幼い子供が可愛く笑いかけてくるような結晶になります。
では、ネガティブな言葉ではどうなるでしょう。
「ばかやろう」 結晶を結ぶことができず、壊れてしまいます。
「ムカツク」「殺す」 同じく結晶ができません。
「~しなさい」 結晶ができず、真ん中に穴が開いた輪のような形。
このほか、モーツアルトやバッハを聞かせてみたりしても独自の結晶を形作ります。
さて、この実験は私達に何を教えてくれるでしょうか。
人間の身体は約70%が水でできています。ということは、常にプラスの言葉、「愛」「感謝」「ありがとう」「~しようね」などを言っていると、身体の中にある水が美しい結晶を結び、マイナス言葉、「ばかやろう」「ムカツク」「~しなさい」などを言っていると、結晶が壊れてしまう、ということです。
ハッピーな生活は、ハッピーな言葉から生まれます~
次回は、このコラムの続きを紹介したいなって思います。
私たちは水ですよ~
そこで阪本啓一氏のあるコラムに目が留まりました。
今日は、そのコラムのご紹介で~す。
不思議な話をします。ガラスのビンに水を入れ、ワープロで打った文字を貼り付け、水に見せます。すると、文字によって、水の作る結晶の形が変わるのです。(江本勝『水は答えを知っている』より)
「愛・感謝」 完璧と言っていいほどの美しさ
「ありがとう」 バランスの取れた美しい6角形。興味深いのは、Thank you,Merci,Danke,多謝などの同じ意味の各国語でも、似た形の結晶になることです。
「智慧」「Wisdom」 この同義語たちの場合も似たような美しい端正な結晶です。
「~しようね」 幼い子供が可愛く笑いかけてくるような結晶になります。
では、ネガティブな言葉ではどうなるでしょう。
「ばかやろう」 結晶を結ぶことができず、壊れてしまいます。
「ムカツク」「殺す」 同じく結晶ができません。
「~しなさい」 結晶ができず、真ん中に穴が開いた輪のような形。
このほか、モーツアルトやバッハを聞かせてみたりしても独自の結晶を形作ります。
さて、この実験は私達に何を教えてくれるでしょうか。
人間の身体は約70%が水でできています。ということは、常にプラスの言葉、「愛」「感謝」「ありがとう」「~しようね」などを言っていると、身体の中にある水が美しい結晶を結び、マイナス言葉、「ばかやろう」「ムカツク」「~しなさい」などを言っていると、結晶が壊れてしまう、ということです。
ハッピーな生活は、ハッピーな言葉から生まれます~
次回は、このコラムの続きを紹介したいなって思います。
私たちは水ですよ~
2006年07月27日
息子とシングル
暑いですね~。
日本ばかりでなくアメリカのカルフォル二ア州も、猛暑で、45人死者がでたとニュースで見ましたが、
リュリュちゃん、はじめちゃん、生きてるか~?
昨日の記事で予告したとおり、高1の息子と、シングルをしました。
中1の息子もついてきて、最初は3人で2ゲームづつローテーションしました。
そして最後に、長男と4ゲーム先取の「因縁の戦い」をしました。
(すみません4ゲーム先取ってしょぼいですね、でもあつくて~…)
ラケットは「SPORTSDEPO」で借りてきたデモの「ウイルソンN-TOUR2 95」と「105」の2本を息子と交代で使いました。
<息子の特徴>
1.ファーストサーブが速く、
エースをとることもあるが、
ダブルこともある。
2.いいストロークをもっている。
甘い球を返すと、鋭くエースを決められる。
しかし、それがネット、アウトすることがある。
3.スライスショットがうまい。
特にドロップショットは、おばさんには効く。
4.かっこ悪いテニスが、嫌い。
先に何かをしようとしてミスる。
5.おばさんテニスには負けたくないと叫んでいた。
→ 結局、ミスが多くて、安定してないんです~!!
<私の作戦>
パワーではかなわないので、とにかく面を作って、深く返す。
息子のボールは速いが、よく跳ねるので意外ととれる。
→ 結局、ミスせずに続けていれば勝てると思いま~す。
ということで、ただ続けていたら4-3で勝ちました。
たぶん、この暑い中、おばさんと長いラリーをするより、早く決めたいと思ったんでしょう。
でも、終わった後
「お母さんみたいな、ヤツもいっぱいいるから、
そういうヤツに勝てないとだめやな~。」
とも、言っていました。
高校生になってやっと、本格的に試合にで始めたのでまだ、息子は試合の流れとかが、わかっていません。
目先のポイントしか考えてないので、大事なポイントでミスが多いです。
もっと、かっこ悪くてもいいから、1球1球に、執念を持ってプレーしてもらいたいと思いました。
息子は、技術は持っていると思うので後は、根性があれば結構いけるのではないでしょうか?
経験をつめば、違うと思います。
でも、楽しく苦しい1日でした。
中1の息子は、暑いのに審判台にのぼって、
「まだ~、まだ~、おれもやりたい」
とぼやいていたので、
尚更、長男はあせったのかもしれません。
日本ばかりでなくアメリカのカルフォル二ア州も、猛暑で、45人死者がでたとニュースで見ましたが、
リュリュちゃん、はじめちゃん、生きてるか~?
昨日の記事で予告したとおり、高1の息子と、シングルをしました。
中1の息子もついてきて、最初は3人で2ゲームづつローテーションしました。
そして最後に、長男と4ゲーム先取の「因縁の戦い」をしました。
(すみません4ゲーム先取ってしょぼいですね、でもあつくて~…)
ラケットは「SPORTSDEPO」で借りてきたデモの「ウイルソンN-TOUR2 95」と「105」の2本を息子と交代で使いました。
<息子の特徴>
1.ファーストサーブが速く、
エースをとることもあるが、
ダブルこともある。
2.いいストロークをもっている。
甘い球を返すと、鋭くエースを決められる。
しかし、それがネット、アウトすることがある。
3.スライスショットがうまい。
特にドロップショットは、おばさんには効く。
4.かっこ悪いテニスが、嫌い。
先に何かをしようとしてミスる。
5.おばさんテニスには負けたくないと叫んでいた。
→ 結局、ミスが多くて、安定してないんです~!!
<私の作戦>
パワーではかなわないので、とにかく面を作って、深く返す。
息子のボールは速いが、よく跳ねるので意外ととれる。
→ 結局、ミスせずに続けていれば勝てると思いま~す。
ということで、ただ続けていたら4-3で勝ちました。
たぶん、この暑い中、おばさんと長いラリーをするより、早く決めたいと思ったんでしょう。
でも、終わった後
「お母さんみたいな、ヤツもいっぱいいるから、
そういうヤツに勝てないとだめやな~。」
とも、言っていました。
高校生になってやっと、本格的に試合にで始めたのでまだ、息子は試合の流れとかが、わかっていません。
目先のポイントしか考えてないので、大事なポイントでミスが多いです。
もっと、かっこ悪くてもいいから、1球1球に、執念を持ってプレーしてもらいたいと思いました。
息子は、技術は持っていると思うので後は、根性があれば結構いけるのではないでしょうか?
経験をつめば、違うと思います。
でも、楽しく苦しい1日でした。
中1の息子は、暑いのに審判台にのぼって、
「まだ~、まだ~、おれもやりたい」
とぼやいていたので、
尚更、長男はあせったのかもしれません。
2006年07月26日
新しいラケット
先日、高校生の息子が、大雨の中、テニス合宿を無事終えて帰ってきました。
テニスバックの中から、くさい洗濯物をつまみながら出している途中、
彼のラケットに気づきました。
フレームのエッジが3センチぐらいめくれています。
考えてみれば、アメリカ時代の中1の時から、ずっと同じラケットを使っています。
高校に入って、テニスを頑張り始めたので、新しいラケットを買おう!ということになって、
自転車こいで「SPORTS DEPO]へ行きました。
もともと、私は、実力とラケットはあまり関係ないと思っていたので、私自身、ふる~いのを使っています。
アメリカでテニスを始めた時、コーチが私のラケットをみて、
「Look at this.
This is very antique.
Beautiful…(絶句)!」
と、感動したん(あきれていたん)です。ほんと。
だから、あまりラケットに関する知識もありません。
「上手い人は、面の小さいラケットを使う」
ぐらいしか、頭にありませんでした。
なんや、かんやと店員さんに聞いて、息子の意見も聞いて、結局ウイルソンの「N-TOUR2 95」と「トライアド4 110」を試打のため借りました。
昨日、息子は、練習試合で「N-TOUR2 95」を使い、すごく気に入って帰ってきました。
(おいおい、試合でいきなり試打するか~?)
プロのエナン選手も使っているとのこと。
シングル2試合とも勝って、
「まじ、おれ、強かった」
と、言っていました。
今日はコートを借りて、私とシングルやって、ラケット返却して、買いに行こう!
と昨日張り切っていましたが…まだ寝てます。
今日、私とシングルできるんでしょうか?
もし、そのラケットよかったら、2本買って私も使わせてもらお~と思ってます。
(予備に皆さん、2本持っているらしいので)
ラケットが変わればサルが人間に進化したように、私のテニスも進化するでしょうか?
それでは、また、あした~。
N-TOUR2 95↓
テニスバックの中から、くさい洗濯物をつまみながら出している途中、
彼のラケットに気づきました。
フレームのエッジが3センチぐらいめくれています。
考えてみれば、アメリカ時代の中1の時から、ずっと同じラケットを使っています。
高校に入って、テニスを頑張り始めたので、新しいラケットを買おう!ということになって、
自転車こいで「SPORTS DEPO]へ行きました。
もともと、私は、実力とラケットはあまり関係ないと思っていたので、私自身、ふる~いのを使っています。
アメリカでテニスを始めた時、コーチが私のラケットをみて、
「Look at this.
This is very antique.
Beautiful…(絶句)!」
と、感動したん(あきれていたん)です。ほんと。
だから、あまりラケットに関する知識もありません。
「上手い人は、面の小さいラケットを使う」
ぐらいしか、頭にありませんでした。
なんや、かんやと店員さんに聞いて、息子の意見も聞いて、結局ウイルソンの「N-TOUR2 95」と「トライアド4 110」を試打のため借りました。
昨日、息子は、練習試合で「N-TOUR2 95」を使い、すごく気に入って帰ってきました。
(おいおい、試合でいきなり試打するか~?)
プロのエナン選手も使っているとのこと。
シングル2試合とも勝って、
「まじ、おれ、強かった」
と、言っていました。
今日はコートを借りて、私とシングルやって、ラケット返却して、買いに行こう!
と昨日張り切っていましたが…まだ寝てます。
今日、私とシングルできるんでしょうか?
もし、そのラケットよかったら、2本買って私も使わせてもらお~と思ってます。
(予備に皆さん、2本持っているらしいので)
ラケットが変わればサルが人間に進化したように、私のテニスも進化するでしょうか?
それでは、また、あした~。
N-TOUR2 95↓
2006年07月25日
試合の後、おもてなし in the US
さて、先日、アメリカでの私の2年間におよぶ、リーグの様子を連載させていただきました。
その時、試合のあと毎回、ホームコートのチームが相手チームに、お昼をごちそうするのが慣わしでした。
私は、水曜日と火曜日のリーグに出ていました。水曜日はポットラック(持ち寄り)、火曜日はクラブハウスのカフェでランチという感じでした。試合のレベルは、火曜日のリーグの方が高いものでしたが、水曜日は、アットホームな雰囲気で、試合の後のポットラックが私は好きでした。
水曜日は前にも述べましたが、台湾系アメリカ人のメアリーと組んでいました。一般的にアメリカの人は、ポットラックの時、持ってくるものは、買ってくるか、混ぜるだけ(サラダ)、はさむだけ(サンドイッチ)の簡単なものが、殆どです。
しかし、リーグに入ったばかりで、自分たちの番が回ってきた時、事情のわからない私は、たいそうに考えすぎ、朝早くおきて、木桶にちらし寿司を作ってしまいました(アメリカ人向きにスモークサーモンとか、きのこを入れて)。メアリーは、デザート担当で飲み物(市販の炭酸飲料)とケーキを用意しました。
私は、本当は大変だったのに、口では「簡単、簡単」と笑っていたので、
みんなに本当に
「簡単なんだ~」
と思われてしまいました。
結構、私のちらし寿司はよろこんでもらえ、私とメアリーが当番の時は、日本食が出てくると、思われてしましました。
メアリーも私に
「ヒロチャン、次もアレ、タノムアルヨ。」
と、リクエストしてきます。
ある日、私は自分の当番の日、朝から「鳥の照り焼き」を、何十人分か作りました。
しかし、早朝からの、疲労がたたって、その日の試合に負けてしまいました。
その時、やっと、メアリーは気づいてくれて、
「ヒロチャン、モウ、ムリスルデ、ナイヨ。」
ということに、なりました。
しかし、見栄を張り続けた、私が悪かったんです~。
アメリカには、色々な種類のボックス・ケーキミックスがあって、卵、牛乳、水を加えるだけで、簡単にケーキができました。
日本では、材料の量は重さ(g)が主流ですが、アメリカはカップとスプーン(2分の1とか4分の1)が主流でわかりやすかったです。
メアリーは、いつも美味しいケーキを簡単に作ってきてくれました。
↓(こんなんです)
その時、試合のあと毎回、ホームコートのチームが相手チームに、お昼をごちそうするのが慣わしでした。
私は、水曜日と火曜日のリーグに出ていました。水曜日はポットラック(持ち寄り)、火曜日はクラブハウスのカフェでランチという感じでした。試合のレベルは、火曜日のリーグの方が高いものでしたが、水曜日は、アットホームな雰囲気で、試合の後のポットラックが私は好きでした。
水曜日は前にも述べましたが、台湾系アメリカ人のメアリーと組んでいました。一般的にアメリカの人は、ポットラックの時、持ってくるものは、買ってくるか、混ぜるだけ(サラダ)、はさむだけ(サンドイッチ)の簡単なものが、殆どです。
しかし、リーグに入ったばかりで、自分たちの番が回ってきた時、事情のわからない私は、たいそうに考えすぎ、朝早くおきて、木桶にちらし寿司を作ってしまいました(アメリカ人向きにスモークサーモンとか、きのこを入れて)。メアリーは、デザート担当で飲み物(市販の炭酸飲料)とケーキを用意しました。
私は、本当は大変だったのに、口では「簡単、簡単」と笑っていたので、
みんなに本当に
「簡単なんだ~」
と思われてしまいました。
結構、私のちらし寿司はよろこんでもらえ、私とメアリーが当番の時は、日本食が出てくると、思われてしましました。
メアリーも私に
「ヒロチャン、次もアレ、タノムアルヨ。」
と、リクエストしてきます。
ある日、私は自分の当番の日、朝から「鳥の照り焼き」を、何十人分か作りました。
しかし、早朝からの、疲労がたたって、その日の試合に負けてしまいました。
その時、やっと、メアリーは気づいてくれて、
「ヒロチャン、モウ、ムリスルデ、ナイヨ。」
ということに、なりました。
しかし、見栄を張り続けた、私が悪かったんです~。
アメリカには、色々な種類のボックス・ケーキミックスがあって、卵、牛乳、水を加えるだけで、簡単にケーキができました。
日本では、材料の量は重さ(g)が主流ですが、アメリカはカップとスプーン(2分の1とか4分の1)が主流でわかりやすかったです。
メアリーは、いつも美味しいケーキを簡単に作ってきてくれました。
↓(こんなんです)
2006年07月24日
息子の「ひたすら」合宿
昨日、高校生の息子が、無事、大雨の中での3泊4日の「テニス部合宿」を、終えて帰ってきました。
バッグの中は洗濯物の山です。
息子たち1年生は、洗濯係、食事係、コート・ボール係を交代でやっていたようです。
しかし、自分の洗濯物を1度も出してない様子…追求するのはやめておきます。
洗濯、食事、自分はやるが、やられたくない気持ち、わかります。
私自身、昔、合宿で食事を作った時、
3秒ルール「落ちたものを3秒以内に拾えば、そのまま使ってよい」
に従って料理しておりました(今でも)。
洗濯物の下から、テニス部の「合宿メニュー」なるものが、出てきたのでちょっくら、読んでみました
お~、さすが、若者、若さあふれる練習計画がそこにはありました。
●8の字チャンスボール
コートに2人入って8の字に動いてひたすらチャンスボール
を決める。疲れた状態でしっかりきめれるようになる。
●1対3ラリー
3はひたすら続ける。1はひたすらきめ続ける。
1は何回か勝つまで終わることができない。
●サービス&リターン
ひたすらサービスとリターンの練習
そのほかにも、ひたすらな練習メニューがいろいろでした。
8の字チャンスボール…やってみたいです。
大雨にたたられた合宿でしたが、1日半は晴れていたし、雨がやんだ時ナイターで練習できた、と言っていました。
「俺、まじ、強え~!!」
と、帰ってきましたので、この先のトーナメントの健闘を祈りつつ、今日は筆をおきたいと思います。
バッグの中は洗濯物の山です。
息子たち1年生は、洗濯係、食事係、コート・ボール係を交代でやっていたようです。
しかし、自分の洗濯物を1度も出してない様子…追求するのはやめておきます。
洗濯、食事、自分はやるが、やられたくない気持ち、わかります。
私自身、昔、合宿で食事を作った時、
3秒ルール「落ちたものを3秒以内に拾えば、そのまま使ってよい」
に従って料理しておりました(今でも)。
洗濯物の下から、テニス部の「合宿メニュー」なるものが、出てきたのでちょっくら、読んでみました
お~、さすが、若者、若さあふれる練習計画がそこにはありました。
●8の字チャンスボール
コートに2人入って8の字に動いてひたすらチャンスボール
を決める。疲れた状態でしっかりきめれるようになる。
●1対3ラリー
3はひたすら続ける。1はひたすらきめ続ける。
1は何回か勝つまで終わることができない。
●サービス&リターン
ひたすらサービスとリターンの練習
そのほかにも、ひたすらな練習メニューがいろいろでした。
8の字チャンスボール…やってみたいです。
大雨にたたられた合宿でしたが、1日半は晴れていたし、雨がやんだ時ナイターで練習できた、と言っていました。
「俺、まじ、強え~!!」
と、帰ってきましたので、この先のトーナメントの健闘を祈りつつ、今日は筆をおきたいと思います。
2006年07月23日
お客さん(クーラー、保険、ハムスター)
朝、せみの鳴き声で、目が覚めました。
この声は、すごいです。日本の夏ならではですね。
アメリカって、緑がいっぱいでしたが昆虫はあまりいませんでした。意外と虫駆除の薬がまかれていたんだと思います。
さて、昨日は、お客さんが何人かきました。
まず、9時頃、クーラーの工事にため、業者のおじさんが来られました。玄関横の主人の部屋が暑くてたまらん!ということで、主人の部屋につけてもらいました。
昼過ぎに、保険のおばさんがいらっしゃいました。10年アメリカにいる間、保険や銀行、郵便局の定期などが満期になり訳が、わからなくなってしまいました。
浦島太郎状態とはこういう状態でしょうか?
私のなけなしの貯金を預けていた「○○銀行」は2回も名前が変わり今は別名です。
1994年(いつの話や~?)に作った
「イチロー200本安打達成記念 イチロー定期預金」
なるものも手続きに遠くの支店までいかねばどうしようもないとのこと。(私たちは1995年に渡米しました)
そのうち行きます…
リュりゅちゃん、はじめちゃん、あなたは大丈夫ですか?
夕方、昨日最後のお客さんは「ハムスター」です。次男スシボーの誕生日がもうすぐなので、プレゼントです。
お客ではなくこれは「家族」ですね。
名前は「オイ」にしようかと言っていました。「オイ」っていつも呼ぶから。
種類は「ジャンガリアンハムスター」です。小さめで可愛いです。
次のような説明がホームページにありました。
「ジャンガリアンハムスターは性格の個体差が激しいため、どの子も同じように扱えないところが、飼っていて一番楽しい種類です。運が悪いと毎日噛まれることもありますが、飼い方さえしっかりしていれば、ちゃんとなついてくれます。」
うちの場合、「毎日噛まれる運命」になるような不吉な予感がしています。
↑ジャンガリアンハムスターの「コラ」です
この声は、すごいです。日本の夏ならではですね。
アメリカって、緑がいっぱいでしたが昆虫はあまりいませんでした。意外と虫駆除の薬がまかれていたんだと思います。
さて、昨日は、お客さんが何人かきました。
まず、9時頃、クーラーの工事にため、業者のおじさんが来られました。玄関横の主人の部屋が暑くてたまらん!ということで、主人の部屋につけてもらいました。
昼過ぎに、保険のおばさんがいらっしゃいました。10年アメリカにいる間、保険や銀行、郵便局の定期などが満期になり訳が、わからなくなってしまいました。
浦島太郎状態とはこういう状態でしょうか?
私のなけなしの貯金を預けていた「○○銀行」は2回も名前が変わり今は別名です。
1994年(いつの話や~?)に作った
「イチロー200本安打達成記念 イチロー定期預金」
なるものも手続きに遠くの支店までいかねばどうしようもないとのこと。(私たちは1995年に渡米しました)
そのうち行きます…
リュりゅちゃん、はじめちゃん、あなたは大丈夫ですか?
夕方、昨日最後のお客さんは「ハムスター」です。次男スシボーの誕生日がもうすぐなので、プレゼントです。
お客ではなくこれは「家族」ですね。
名前は「オイ」にしようかと言っていました。「オイ」っていつも呼ぶから。
種類は「ジャンガリアンハムスター」です。小さめで可愛いです。
次のような説明がホームページにありました。
「ジャンガリアンハムスターは性格の個体差が激しいため、どの子も同じように扱えないところが、飼っていて一番楽しい種類です。運が悪いと毎日噛まれることもありますが、飼い方さえしっかりしていれば、ちゃんとなついてくれます。」
うちの場合、「毎日噛まれる運命」になるような不吉な予感がしています。
↑ジャンガリアンハムスターの「コラ」です
2006年07月22日
テニスのお約束
さて、近所では、レッスン友達しかいないひろちゃんは、電車に乗って、少々西へ足を運び、ソーシャルテニスを楽しんでいる今日この頃です。
この週末、少々西に住む、テニス友達のMさんから、電話がかかってきました。
ひろちゃん 「はい、もしもし」 (高い作り声で)
Mさん 「もしもし、ひろちゃん、いらっしゃるでしょうか?」
(あちらも、かなり丁寧な高い声)
ひろちゃん 「ア~、私、私」 (いつもの低い声)
Mさん 「な~んだ、子供さんかと思った。」
(突然、いつもの笑い声になる)
なんでも、8月2日に、ドームコートがとれなかったので、別のコートをとろうと思うが、外のコートでもいいだろうか?とわざわざ、電話をかけてきてくれたのです。
どうせ、とるなら、10時から16時までとろうと思うとのこと(ちょっと凄くないですか?)。
「日に焼けるのが嫌なら、はっきり断ってくれても、いいのよ~…、でも、他のメンバーも、ひろちゃん来てくれるなら、日焼けなんて気にしないって言ってるよ~」
(少し低い声)
うれしいでは、ありませんか。
「行く、行く、行くよ~。でも、いつも迎えにきてもらったりごめんね。」
ということで、話は、まとまりました。
8月6日の日曜日も、朝からのテニスを誘ってくれてるんで、行くつもりです。一応、日曜日なので夫にも言いました。夫は、私の行動をあまり詳しくチェックしないので、
軽~く、「8月6日、友達とテニス朝から夕方までしても良いかな?、
子供たちも部活でいないし」
夫 「え~よ」
これで、おっけーです。4W1Hなど、殆ど聞かれません。私も夫には詳しいこと聞かないんで、とにかく、おっけ~です。
8月2日、6日ともおっけ~なこと、Mさんに、明日メールしよ~っと。
「追伸」 今日、次男が欲しがっていたハムスターが約1匹、ついにやってきました。アメリカにいたときハムちゃんを2匹飼っていましたが、私が世話をしていました。今回はどうなることやら…また、報告します。
この週末、少々西に住む、テニス友達のMさんから、電話がかかってきました。
ひろちゃん 「はい、もしもし」 (高い作り声で)
Mさん 「もしもし、ひろちゃん、いらっしゃるでしょうか?」
(あちらも、かなり丁寧な高い声)
ひろちゃん 「ア~、私、私」 (いつもの低い声)
Mさん 「な~んだ、子供さんかと思った。」
(突然、いつもの笑い声になる)
なんでも、8月2日に、ドームコートがとれなかったので、別のコートをとろうと思うが、外のコートでもいいだろうか?とわざわざ、電話をかけてきてくれたのです。
どうせ、とるなら、10時から16時までとろうと思うとのこと(ちょっと凄くないですか?)。
「日に焼けるのが嫌なら、はっきり断ってくれても、いいのよ~…、でも、他のメンバーも、ひろちゃん来てくれるなら、日焼けなんて気にしないって言ってるよ~」
(少し低い声)
うれしいでは、ありませんか。
「行く、行く、行くよ~。でも、いつも迎えにきてもらったりごめんね。」
ということで、話は、まとまりました。
8月6日の日曜日も、朝からのテニスを誘ってくれてるんで、行くつもりです。一応、日曜日なので夫にも言いました。夫は、私の行動をあまり詳しくチェックしないので、
軽~く、「8月6日、友達とテニス朝から夕方までしても良いかな?、
子供たちも部活でいないし」
夫 「え~よ」
これで、おっけーです。4W1Hなど、殆ど聞かれません。私も夫には詳しいこと聞かないんで、とにかく、おっけ~です。
8月2日、6日ともおっけ~なこと、Mさんに、明日メールしよ~っと。
「追伸」 今日、次男が欲しがっていたハムスターが約1匹、ついにやってきました。アメリカにいたときハムちゃんを2匹飼っていましたが、私が世話をしていました。今回はどうなることやら…また、報告します。
2006年07月21日
Jury Summons?! (by リュリュ)
ぎょぎょ! この間、Superior Court of California(カリフォルニア上級裁判所)から Jury Summons(陪審員召喚状)なるものが届きました。
そうです。ご存知の方もいらっしゃると思いますが、陪審員を務めるのは、アメリカ国民の義務であります。“Jury Duty is your civic responsibility.”などと書かれています。これを怠れば、ペナルティがありますし、 何しろ、10日以内に同封の書類に必要事項を書き込んで、サインをして返送しなくてはいけません。
っで、私は、どうしたか??実は、何も難しくはない!のです。
わたしは、アメリカ国民(Citizen of the U.S.)ではない!のです。
しかも裁判で使われる英語の知識なんぞあるわけがない!(威張るな~)
ということで、自分が陪審員ができないという理由がきちんとあるので、その理由のところをチェックして送り返すだけでいいのです。
あ~、とりあえず、これで完了!
陪審員なんて、たとえ言葉がわかったとしても難しそうです。本当に責任を持って参加しなくてはいけません。もし、市民権を持っていたら、英語ができないじゃ理由として認めてもらえないと聞いたこともあります。
確か、日本も陪審員制度を思案中だとかー。いや、数年後にできるんでしたっけー。(記憶があやふや~)
誰か教えてください!
これって、責任重大ですよね。
過去のアメリカの事件で無罪判決が出て、「うそでしょ!」ってびっくりしたものもありましたよ。
このJury Summonsって数年に1回は送られてくるんですけど、この時代、送付する前に市民権持ってるか持ってないかってわからないのかしらー。(ちょっと不思議??)
そうです。ご存知の方もいらっしゃると思いますが、陪審員を務めるのは、アメリカ国民の義務であります。“Jury Duty is your civic responsibility.”などと書かれています。これを怠れば、ペナルティがありますし、 何しろ、10日以内に同封の書類に必要事項を書き込んで、サインをして返送しなくてはいけません。
っで、私は、どうしたか??実は、何も難しくはない!のです。
わたしは、アメリカ国民(Citizen of the U.S.)ではない!のです。
しかも裁判で使われる英語の知識なんぞあるわけがない!(威張るな~)
ということで、自分が陪審員ができないという理由がきちんとあるので、その理由のところをチェックして送り返すだけでいいのです。
あ~、とりあえず、これで完了!
陪審員なんて、たとえ言葉がわかったとしても難しそうです。本当に責任を持って参加しなくてはいけません。もし、市民権を持っていたら、英語ができないじゃ理由として認めてもらえないと聞いたこともあります。
確か、日本も陪審員制度を思案中だとかー。いや、数年後にできるんでしたっけー。(記憶があやふや~)
誰か教えてください!
これって、責任重大ですよね。
過去のアメリカの事件で無罪判決が出て、「うそでしょ!」ってびっくりしたものもありましたよ。
このJury Summonsって数年に1回は送られてくるんですけど、この時代、送付する前に市民権持ってるか持ってないかってわからないのかしらー。(ちょっと不思議??)
2006年07月20日
あらしの2日間
昨日、今日と大雨が降ったりやんだりです。
社宅マンションで駐車場待ち状態の我が家は、まだ、自動車がありません。駐車場を社宅の周りで借りると、1ヶ月、社宅の家賃と同じぐらいかかるので、ばかばかしく思えて車なし状態も2年目にはいりました。
雨の日も風の日も、自転車中心の生活ですが、ここ2日は、命がけで自転車をこいでいました。
昨日は、朝から暴風雨でした。住んでるところは神戸ですが息子の高校は大阪なんで、駅までいつも自転車です。警報が出たら自宅待機と生徒手帳にありますが、学校の誰がそれを決めるんでしょうか?あてになりません…暴風雨の中、息子は、上下のカッパを着て、風に逆らいながら自転車こいで行きました。後ろから
「しっかりこげよ~、こけるなよ~」
と、送り出しました。昨日は、高校の終業式でした。
アメリカでは、車で子供を送り迎えが当たり前ですから(安全面からも)息子の生活形態も変わりました。最近、やっと電車も平気になりました。
しかも、今日は今日で、今日から、息子のテニス部の合宿が淡路島で日曜日まであります(3泊4日)。朝6時半、学校集合ということで、朝4時に起き、5時過ぎの電車に乗るため、自転車で雨の中を出て行きました。荷物も多いし、私は過保護なんで荷物を半分自分の自転車に積んで、(しつこく)一緒に5時前に駅まで行きました。息子は、嫌がって、
「絶対、ホームまでくるな~!」
といって、走って、改札をとおっていきました。
淡路島が、雨で沈まないことを祈ってます。
それにしても、「小豆島」を「あずきじま」と読んでいた息子もやっと「淡路島」と「小豆島」の区別ができるようになりました。10年近く、アメリカにいましたので、その辺は、ご勘弁ください。たくましく、成長はしていると思います。
(しかし、息子は「小豆島」を「こまめじま」と読まなかった自分を評価してくれといっていました。)
そして、いつまで、この、自動車無し生活が続くのでしょうか?
去年の3月、社宅に入った時、たしか順番待ち28番目だったので、今、どのくらいでしょうか…?
社宅マンションで駐車場待ち状態の我が家は、まだ、自動車がありません。駐車場を社宅の周りで借りると、1ヶ月、社宅の家賃と同じぐらいかかるので、ばかばかしく思えて車なし状態も2年目にはいりました。
雨の日も風の日も、自転車中心の生活ですが、ここ2日は、命がけで自転車をこいでいました。
昨日は、朝から暴風雨でした。住んでるところは神戸ですが息子の高校は大阪なんで、駅までいつも自転車です。警報が出たら自宅待機と生徒手帳にありますが、学校の誰がそれを決めるんでしょうか?あてになりません…暴風雨の中、息子は、上下のカッパを着て、風に逆らいながら自転車こいで行きました。後ろから
「しっかりこげよ~、こけるなよ~」
と、送り出しました。昨日は、高校の終業式でした。
アメリカでは、車で子供を送り迎えが当たり前ですから(安全面からも)息子の生活形態も変わりました。最近、やっと電車も平気になりました。
しかも、今日は今日で、今日から、息子のテニス部の合宿が淡路島で日曜日まであります(3泊4日)。朝6時半、学校集合ということで、朝4時に起き、5時過ぎの電車に乗るため、自転車で雨の中を出て行きました。荷物も多いし、私は過保護なんで荷物を半分自分の自転車に積んで、(しつこく)一緒に5時前に駅まで行きました。息子は、嫌がって、
「絶対、ホームまでくるな~!」
といって、走って、改札をとおっていきました。
淡路島が、雨で沈まないことを祈ってます。
それにしても、「小豆島」を「あずきじま」と読んでいた息子もやっと「淡路島」と「小豆島」の区別ができるようになりました。10年近く、アメリカにいましたので、その辺は、ご勘弁ください。たくましく、成長はしていると思います。
(しかし、息子は「小豆島」を「こまめじま」と読まなかった自分を評価してくれといっていました。)
そして、いつまで、この、自動車無し生活が続くのでしょうか?
去年の3月、社宅に入った時、たしか順番待ち28番目だったので、今、どのくらいでしょうか…?
2006年07月19日
サンダーさんの仲間とテニスのはずが…
昨日は、サンダーさんとお仲間とテニスをするはずだったんですが、残念ながら、雨でできませんでした。
前回は、午前中の大雨にもかかわらず、午後から晴れて、テニスができました。しかし、今日はそうはいかず「ひろちゃん晴れ女 伝説」は、無しになりました。
しかし、サンダーさんのコートに行く前に、前回知り合ったFmさんとMさんと、屋根つきのドームコートでテニスをする約束をしていて、そちらのほうは実現することができました。2時間ほど「お笑いおばさんテニス」を楽しみました。今回は、私のともだちのNさんも一緒に行きました。
FmさんとMさんのともだち、Yさん、Tさんも含めて計6人で、ウオーミングアップをした後4ゲームずつ、休む暇もなくゲームをしました。
なんでも、Mさんは、テニス熱が最近冷めていたらしいのですが、前回、私とテニスを一緒にして、再び情熱に火がつき、先週は毎日テニスをし、週末も8時にテニスコートに現れるようになった、と、周りの人がこっそり教えてくれました。
案の定、週1,2回しかやらない私は、Mさんの強力ストロークに、右、右、左と打ち込まれていました。
くそ~、まけるもんか、と逆襲を誓うひろちゃんです。
最初ウオーミングアップのとき、4人でボレボレをやったとき、私の友人Nさんと私のボレーを
「きゃ~」
といいながらよけていたMさんたちなんですが、ゲームになると、皆さん、ストロークがすごくよくて別人のように、私は攻撃されました。
あっという間にもうすぐ2時間という時、スピーカーから「となりのトトロ」の音楽が流れ始めました。まだ、5分ぐらいあると続けていると前にも増して巨大な「ととろ」が聞こえてきたので、これは帰れということだと思いみんなで走ってコートから逃げました。
そして、「2時間のコート代いくらですか?」ときくと「ひとり200円」といわれ、耳をうたがいました。聞けば、2時間500円のコートが、ふつ~というじゃありませんか!!
私とNさんの近くの安いコートでさえ1時間1500円だし、レッスン料などもMさんとこより、高いです。電車代入れても、Mさんたちとテニスやったほうが安いかもしれません。Mさんに勝つためには、量やらねば、と心に誓いました。しかし、どこで…
その後、サンダーさんから「今日は中止メール」をもらい、みんなで「COCO'S」に行き、盛り上がりました。
出てきた、フルーツバニラクレープが、写真より小さいとみんなで、文句を言いました(陰で)。
そして、ひろちゃんが、わざわざ、そこまで電車に乗ってテニスにくるのは近くに友達がいないから、という結論になり、次回の約束をして帰りました。
皆さん、お世話になりました。
Mさん、私も頑張るからね~。
次回会う時を、楽しみにしているよ~!
前回は、午前中の大雨にもかかわらず、午後から晴れて、テニスができました。しかし、今日はそうはいかず「ひろちゃん晴れ女 伝説」は、無しになりました。
しかし、サンダーさんのコートに行く前に、前回知り合ったFmさんとMさんと、屋根つきのドームコートでテニスをする約束をしていて、そちらのほうは実現することができました。2時間ほど「お笑いおばさんテニス」を楽しみました。今回は、私のともだちのNさんも一緒に行きました。
FmさんとMさんのともだち、Yさん、Tさんも含めて計6人で、ウオーミングアップをした後4ゲームずつ、休む暇もなくゲームをしました。
なんでも、Mさんは、テニス熱が最近冷めていたらしいのですが、前回、私とテニスを一緒にして、再び情熱に火がつき、先週は毎日テニスをし、週末も8時にテニスコートに現れるようになった、と、周りの人がこっそり教えてくれました。
案の定、週1,2回しかやらない私は、Mさんの強力ストロークに、右、右、左と打ち込まれていました。
くそ~、まけるもんか、と逆襲を誓うひろちゃんです。
最初ウオーミングアップのとき、4人でボレボレをやったとき、私の友人Nさんと私のボレーを
「きゃ~」
といいながらよけていたMさんたちなんですが、ゲームになると、皆さん、ストロークがすごくよくて別人のように、私は攻撃されました。
あっという間にもうすぐ2時間という時、スピーカーから「となりのトトロ」の音楽が流れ始めました。まだ、5分ぐらいあると続けていると前にも増して巨大な「ととろ」が聞こえてきたので、これは帰れということだと思いみんなで走ってコートから逃げました。
そして、「2時間のコート代いくらですか?」ときくと「ひとり200円」といわれ、耳をうたがいました。聞けば、2時間500円のコートが、ふつ~というじゃありませんか!!
私とNさんの近くの安いコートでさえ1時間1500円だし、レッスン料などもMさんとこより、高いです。電車代入れても、Mさんたちとテニスやったほうが安いかもしれません。Mさんに勝つためには、量やらねば、と心に誓いました。しかし、どこで…
その後、サンダーさんから「今日は中止メール」をもらい、みんなで「COCO'S」に行き、盛り上がりました。
出てきた、フルーツバニラクレープが、写真より小さいとみんなで、文句を言いました(陰で)。
そして、ひろちゃんが、わざわざ、そこまで電車に乗ってテニスにくるのは近くに友達がいないから、という結論になり、次回の約束をして帰りました。
皆さん、お世話になりました。
Mさん、私も頑張るからね~。
次回会う時を、楽しみにしているよ~!
2006年07月17日
リュリュちゃんとの2ショット
昨日で、お粗末な私の連載を終了しました。読んでくださって、ありがとうございました。
その中のコメントのやりとりで、私が帰国前、リュリュちゃんと2人で、最後にレストランでとった2ショットをまだ、リュリュちゃんに渡してないことがわかりました。
帰国の1週間前、リュリュちゃんと、近くのゴルフ場のレストランで、最後の晩餐ならぬ、最後のランチをしました。「ストロベリーファーム」という、苺畑に囲まれた、雰囲気のいいゴルフ場で、高いので私たちの夫はいきませんが、そこのレストランは、女性の間でも人気がありました。
その時の写真を、リュリュちゃんにメールに添付して昨日送りました。
「懐かしい、写真だし、2人の2ショットだしいっそのこと、このブログに顔にモザイクをかけて、載せようか?」
と、リュリュちゃんに相談したところ、
「顔はすっぴんだし格調高いレストランに、普段着で2人とも行っていたんで、読んでくださっている皆さんの夢をぶち壊すからやめよう。(ひろちゃんは、荷造りの疲労でクマだらけだし)」
と、リュリュちゃんから、返事がきました。
2人の2ショットで、化粧をしてきれいな格好をしている写真は1枚もありませんので、今後、皆様の前に姿を現すことはないかもしれません。
リュリュちゃん、悲しいね~。
記事のタイトルを見て、写真を期待した方、ごめんなさい。
リュリュちゃん、タイトル見て、あせったか~?
その中のコメントのやりとりで、私が帰国前、リュリュちゃんと2人で、最後にレストランでとった2ショットをまだ、リュリュちゃんに渡してないことがわかりました。
帰国の1週間前、リュリュちゃんと、近くのゴルフ場のレストランで、最後の晩餐ならぬ、最後のランチをしました。「ストロベリーファーム」という、苺畑に囲まれた、雰囲気のいいゴルフ場で、高いので私たちの夫はいきませんが、そこのレストランは、女性の間でも人気がありました。
その時の写真を、リュリュちゃんにメールに添付して昨日送りました。
「懐かしい、写真だし、2人の2ショットだしいっそのこと、このブログに顔にモザイクをかけて、載せようか?」
と、リュリュちゃんに相談したところ、
「顔はすっぴんだし格調高いレストランに、普段着で2人とも行っていたんで、読んでくださっている皆さんの夢をぶち壊すからやめよう。(ひろちゃんは、荷造りの疲労でクマだらけだし)」
と、リュリュちゃんから、返事がきました。
2人の2ショットで、化粧をしてきれいな格好をしている写真は1枚もありませんので、今後、皆様の前に姿を現すことはないかもしれません。
リュリュちゃん、悲しいね~。
記事のタイトルを見て、写真を期待した方、ごめんなさい。
リュリュちゃん、タイトル見て、あせったか~?
2006年07月16日
(完結編)パートナーを変えるとき
今まで、お付き合いくださり、ありがとうございました。今日で、やっと完結します。
<前回までのあらすじ>
11勝2敗で、前半戦を終えたボニーと私。後半戦を10勝3敗以上、つまり、通算21勝5敗以上で終えれば、私たちはAプレーヤーになれます。しかし私は足を負傷し、3月に帰国も決まってしまいました。
1月に入り、後半戦13試合が始まりました。足を痛めた私は、病院にいって飲み薬をもらい、リーグが休みの間(クリスマス、ニューイヤー休暇)はテニスができていませんでした。
案の定、後半戦1試合目は私の動きが悪くて、前半戦で勝った相手にもかかわらず負けてしまいました。その後は、なんとか持ち直し、連勝していきました。
しかし、また2月の始めの試合中に、同じふくらはぎを肉離れしてしまいました。その試合も、なんとかボニーに走り回ってもらって勝つことができました。ボニーは無理をして欲しくないと心配して言ってくれましたが、私はなんとか帰国するまでにAに2人でいきたいと思っていました。そのころはもう、火曜日のリーグで試合を何とか続けようと必死でした。ボニーも私に負担をかけないようにいつも以上に積極的に動き決めてくれました。彼女の方がしんどかったと思います。
足を痛めた翌週は、私は、さすがに試合には出れず、ボニーはサブとLine2(No2)でプレーしました。この時のボニーの勝ち数はLine2なのでカウントされません。
その次の試合から、私は復帰しました。(お医者様でもらった薬が、結構効きました。)しかし、3月初めにまた1回負けてしまいました。相手は負けても納得できるリーグ屈指の強いペアでした。
3月始めの段階で負け数4、カウントされない勝ち数1でした。通算5回より多く負けるとAへの夢は消えてしまいますから、これ以上負けることができませんでした。残り全試合勝たなければなりません。
私たち家族が日本に帰国する日が3月26日で、ボニーと私が最後にプレーするリーグの最後の日が3月21日でした。
足を冷やさないようにロングパンツをはきサポーターをして、試合前に飲み薬を飲み、試合に毎週出続けました。
おかしかったのは、なぜか、他のチームメイトもみんな、ロンパンでプレーしていました。きっと、みんな負傷することを恐れたのだと思います。
そして、なんとか3月21日に”ギリギリ”21回目の勝利をあげることができました。
晴れて、ボニーと私はAプレーヤーになる資格を得ました。Aリーグは、個人戦で毎回別の人とプレーをし個人の勝率でランキングがついていきます。現在、ボニーはAで中々の成績で頑張っています。
私は、帰国しましたが、あれほど、必死にテニスをやったことはありませんでした。燃え尽きたという感じでした。
チームのみんなも私たちがAに行くことを、心から応援し支えてくれました。
チームとしては、14チーム中真ん中の成績でシーズンを終えました。
アメリカで過ごした、この経験と思い出は、大切にしたいと思います。
これで、連載は おわり とさせていただきます。
ありがとうございました。
<前回までのあらすじ>
11勝2敗で、前半戦を終えたボニーと私。後半戦を10勝3敗以上、つまり、通算21勝5敗以上で終えれば、私たちはAプレーヤーになれます。しかし私は足を負傷し、3月に帰国も決まってしまいました。
1月に入り、後半戦13試合が始まりました。足を痛めた私は、病院にいって飲み薬をもらい、リーグが休みの間(クリスマス、ニューイヤー休暇)はテニスができていませんでした。
案の定、後半戦1試合目は私の動きが悪くて、前半戦で勝った相手にもかかわらず負けてしまいました。その後は、なんとか持ち直し、連勝していきました。
しかし、また2月の始めの試合中に、同じふくらはぎを肉離れしてしまいました。その試合も、なんとかボニーに走り回ってもらって勝つことができました。ボニーは無理をして欲しくないと心配して言ってくれましたが、私はなんとか帰国するまでにAに2人でいきたいと思っていました。そのころはもう、火曜日のリーグで試合を何とか続けようと必死でした。ボニーも私に負担をかけないようにいつも以上に積極的に動き決めてくれました。彼女の方がしんどかったと思います。
足を痛めた翌週は、私は、さすがに試合には出れず、ボニーはサブとLine2(No2)でプレーしました。この時のボニーの勝ち数はLine2なのでカウントされません。
その次の試合から、私は復帰しました。(お医者様でもらった薬が、結構効きました。)しかし、3月初めにまた1回負けてしまいました。相手は負けても納得できるリーグ屈指の強いペアでした。
3月始めの段階で負け数4、カウントされない勝ち数1でした。通算5回より多く負けるとAへの夢は消えてしまいますから、これ以上負けることができませんでした。残り全試合勝たなければなりません。
私たち家族が日本に帰国する日が3月26日で、ボニーと私が最後にプレーするリーグの最後の日が3月21日でした。
足を冷やさないようにロングパンツをはきサポーターをして、試合前に飲み薬を飲み、試合に毎週出続けました。
おかしかったのは、なぜか、他のチームメイトもみんな、ロンパンでプレーしていました。きっと、みんな負傷することを恐れたのだと思います。
そして、なんとか3月21日に”ギリギリ”21回目の勝利をあげることができました。
晴れて、ボニーと私はAプレーヤーになる資格を得ました。Aリーグは、個人戦で毎回別の人とプレーをし個人の勝率でランキングがついていきます。現在、ボニーはAで中々の成績で頑張っています。
私は、帰国しましたが、あれほど、必死にテニスをやったことはありませんでした。燃え尽きたという感じでした。
チームのみんなも私たちがAに行くことを、心から応援し支えてくれました。
チームとしては、14チーム中真ん中の成績でシーズンを終えました。
アメリカで過ごした、この経験と思い出は、大切にしたいと思います。
これで、連載は おわり とさせていただきます。
ありがとうございました。
2006年07月15日
(第5話)パートナーを変えるとき
新しいシーズン(2004年9月~2005年3月)に向けて、Bチームへのサインナップが始まりました。それは2004年の4月でした。ボニーと私はもちろん、サインナップしました。他のメンバーも殆ど同じ顔ぶれでしたが、Line2だった金髪美人2人組みは、チームを去っていきました。彼女たちは前回のリーグでAプレーヤー(前回の記事参照)になるのが目標だったのですが、それが果たせず気持ちを切り替えたいようでした。キャプテンの意見で、去年のままのラインナップにしようということになりボニーと私はそのままLine1で、プレーすることになりました。
前シーズン、優勝したので今回は、楽しくプレーしたいと、みんな、思っていました。しかし、最下位2チームは下のリーグに落とされるので、それだけはまねがれたい、とも思っていました。
2年目に入って、ボニーと私はより以心伝心状態になりました。私たちは並行陣でプレイしていましたが、ボニーはとにかく前に行くのが好きで、地を這うようにいつの間にか私の隣に来ていました。リターン以外、ストロークをしないといっても過言ではありませんでした。フットワークがいいんです。そのくせ、ロブで頭上を抜かれても、ベースラインまでもどっていき高~いロブを返します。でも、そんなボニーと私が、1セット落とした後は2人でベースラインにステイしてストローク合戦をやってみたり、負けている時は何か違うことをやってみる事を前シーズンの経験から学んでいました。
また、新しい試みとしてI(アイ)-フォメーションサーブを、とりいれました。私はサーブに自信がなく、自分のサービスゲームをよく落としていました。しかし、このI-フォメーションサーブはスピードより、コントロールが大事だったので私には合っていました。I―フォメーションサーブはご存知だと思いますが、サーバーと前衛がIの字のように重なります。サーバーは、ベースラインの真ん中からサーブし、前衛はセンターラインをまたいでサービスライン上あたりに体勢を低く構えます。ここでも前衛は、「Go」(ポーチ)か「ステイ」かシグナルを出しサーバーはサービスをした後、前衛の動きと基本的には反対側斜め前に動きます。
このI-フォメーションサーブは、ピンチの時、チャンスの時、相手の動揺を誘い流れをこちらに向けることができました。どこにリターンするか迷ってネットするレシーバーも結構いました。このサーブのおかげで、ますます、私たちは「いやらしいテニス」をするという評判がたちました。
12月の始めにリーグの前半が終了します。クリスマスとニューイヤーを迎えて、後半が始まります。私たちは11勝2敗で前半を終えました。全試合26の内、21回勝てば、私たちはAリーグにいけます。
しかし、前半の最後の試合で、私は足を痛めてしまいました。1セットをとって、2セット目の始めでふくらはぎを軽くですが肉離れしてしまいました。ボニーは棄権しようといってくれましたが、そのまま続けてなんとか勝てました。ボニーがひとりでコートを走り回ってくれました。
しかも、私の負傷に加えて12月末、夫に3月に帰国という内示もでてしまいました。
ピンチです!
ここで、つづく にさせていただきます。
ご拝読ありがとうございます…
前シーズン、優勝したので今回は、楽しくプレーしたいと、みんな、思っていました。しかし、最下位2チームは下のリーグに落とされるので、それだけはまねがれたい、とも思っていました。
2年目に入って、ボニーと私はより以心伝心状態になりました。私たちは並行陣でプレイしていましたが、ボニーはとにかく前に行くのが好きで、地を這うようにいつの間にか私の隣に来ていました。リターン以外、ストロークをしないといっても過言ではありませんでした。フットワークがいいんです。そのくせ、ロブで頭上を抜かれても、ベースラインまでもどっていき高~いロブを返します。でも、そんなボニーと私が、1セット落とした後は2人でベースラインにステイしてストローク合戦をやってみたり、負けている時は何か違うことをやってみる事を前シーズンの経験から学んでいました。
また、新しい試みとしてI(アイ)-フォメーションサーブを、とりいれました。私はサーブに自信がなく、自分のサービスゲームをよく落としていました。しかし、このI-フォメーションサーブはスピードより、コントロールが大事だったので私には合っていました。I―フォメーションサーブはご存知だと思いますが、サーバーと前衛がIの字のように重なります。サーバーは、ベースラインの真ん中からサーブし、前衛はセンターラインをまたいでサービスライン上あたりに体勢を低く構えます。ここでも前衛は、「Go」(ポーチ)か「ステイ」かシグナルを出しサーバーはサービスをした後、前衛の動きと基本的には反対側斜め前に動きます。
このI-フォメーションサーブは、ピンチの時、チャンスの時、相手の動揺を誘い流れをこちらに向けることができました。どこにリターンするか迷ってネットするレシーバーも結構いました。このサーブのおかげで、ますます、私たちは「いやらしいテニス」をするという評判がたちました。
12月の始めにリーグの前半が終了します。クリスマスとニューイヤーを迎えて、後半が始まります。私たちは11勝2敗で前半を終えました。全試合26の内、21回勝てば、私たちはAリーグにいけます。
しかし、前半の最後の試合で、私は足を痛めてしまいました。1セットをとって、2セット目の始めでふくらはぎを軽くですが肉離れしてしまいました。ボニーは棄権しようといってくれましたが、そのまま続けてなんとか勝てました。ボニーがひとりでコートを走り回ってくれました。
しかも、私の負傷に加えて12月末、夫に3月に帰国という内示もでてしまいました。
ピンチです!
ここで、つづく にさせていただきます。
ご拝読ありがとうございます…
2006年07月14日
アダルトスクール♪(by リュリュちゃん)
アダルトスクール っと言っても別に 怪しい学校 ではありませんよ~。
私は、よく このアダルトスクールのクラスを利用してます。
今まで取ったことのあるクラスは、ESL (English as a Second Language)、Instructional Assistant (小学校の先生のアシスタントに興味のある人のためのクラス)、Word、Excel、Floral Designのクラスなどです。
これらのクラスは、まず、無料!か とても安い受講料でOK!というところが魅力です。それと、いろいろな国の人を話す機会もありますしねっ。
Word、ExcelやFloral Designのクラスは、英語とコンピューター(や花)の勉強が出来て一石二鳥というやつです。
なんて、書くと リュリュは、英語が出来るんかい? って疑問も持たれるかと思います。っが、普通に日本で英語を勉強していた人なら、アダルトスクールのESLレベル分けテストでアドバンスのクラスが取れますよ。 (カレッジならそうはいかないでしょう。 )
アドバンスが取れると、コンピューターやインストラクショナル アシスタントのクラスも授業についていけるでしょう ってことで一応アメリカ人と同じようにクラス取れるのです。
アダルトスクールのお陰で、新しい友達もできて 結構収穫ありですよ~
でもでも、新学期から(9月)は、お花のクラスに替えてテニススクールのクラス増やそっかな~~~!
私は、よく このアダルトスクールのクラスを利用してます。
今まで取ったことのあるクラスは、ESL (English as a Second Language)、Instructional Assistant (小学校の先生のアシスタントに興味のある人のためのクラス)、Word、Excel、Floral Designのクラスなどです。
これらのクラスは、まず、無料!か とても安い受講料でOK!というところが魅力です。それと、いろいろな国の人を話す機会もありますしねっ。
Word、ExcelやFloral Designのクラスは、英語とコンピューター(や花)の勉強が出来て一石二鳥というやつです。
なんて、書くと リュリュは、英語が出来るんかい? って疑問も持たれるかと思います。っが、普通に日本で英語を勉強していた人なら、アダルトスクールのESLレベル分けテストでアドバンスのクラスが取れますよ。 (カレッジならそうはいかないでしょう。 )
アドバンスが取れると、コンピューターやインストラクショナル アシスタントのクラスも授業についていけるでしょう ってことで一応アメリカ人と同じようにクラス取れるのです。
アダルトスクールのお陰で、新しい友達もできて 結構収穫ありですよ~
でもでも、新学期から(9月)は、お花のクラスに替えてテニススクールのクラス増やそっかな~~~!
2006年07月13日
(第4話シグナル)パートナーを変えるとき
さて、ボニーと正式に組むことが決まって、どのようにプレイするか話し合いました。
その結果、私たちはシグナルを決めてプレーすることにしました。
まず、サービス権がある時、前衛の人が「ポーチにでるからここに(強く)サーブして」または「出ないからここにサーブをして」とシグナルをだし、そのコースにサーバーはサーブを入れます。前衛がポーチに出るかでないかで、サーバーは動きが変わってきます。ポーチに出るということは、前衛側のサイドが空いてしまいますから、サーバーは、そちらもケアしなければなりません。また、外側(フォア側)にサービスするということはストレートを抜かれないように前衛はケアします。私たちはポーチに出るかでないか、そして、サービスのコースをレシーバーのフォア側、真ん中、バック側の3種類のシグナルを決めました。結果的に6パターンのシグナルがあります。
次にレシーブの時、リターンをクロスに返すか、ダウンザライン(ストレート)に返すか、ロブで返すか、この3種類のシグナルを決めました。
たとえば、サーブが強烈な相手だと、「ロブ」でよく逃げました。パートナーはロブが短くなってスマッシュされるかもしれないとあらかじめケアできます。
シグナルを決めてプレーするのは、そこにボールがいくかどうかわからないのでできない、と思われるかもしれませんが、打つところを決めておけば迷いもなく、そして、パートナーもどこに球が行くかわかっている訳ですから、かえってプレーしやすかったです。
もちろん、パートナーに「No」と言われれば、シグナルを変えました。必ず、ポイントの始め、シグナルを出し「Yes」または「No」と確認しながら構えました。
これは、相手から見るとかなり、プレッシャーになったと思います色黒のアジア人2人が、シグナルして「Yes」or 「No」と確認しながら、プレーするのですから、不気味ですよね。
このシグナルを彼女と組んでいた間一球、たりともしなかったことはありません。このシグナルをすることで、ゲームに集中できましたし、常にパートナーと気持ちが通じていると思えました。
そんな調子で、スタートした1年目の、火曜日のリーグは、結果的にチーム優勝(14チーム中)しました。
Line3とLine4のペアは強くていい人でしたし、Line2の人は強くてわがままなペア(これがまた金髪美人なんですよ)だったので、いずれにしろ強い人ばかりのチームでしたから。
ボニーと私は、でだしはLine1(No1)でスタートしましたが途中で、Line2(No2)だったペアにチャレンジされ負けて、Line2になりました。後半はチャレンジし返して勝って再びLine1でプレーしました。
私のリーグは上から2番目のレベルのBリーグでした。Bで80%以上Line1(No1)でプレーし、勝率が80%以上のペアのみ一番上のAリーグにいくことができます。Aプレーヤーは、みんなの憧れの的でした。
2年目のボニーと私が、Aに行けたかどうかは、次回のお楽しみです。
つづく
今日も、長くなりました。
読んでいただきありがとうございました。
その結果、私たちはシグナルを決めてプレーすることにしました。
まず、サービス権がある時、前衛の人が「ポーチにでるからここに(強く)サーブして」または「出ないからここにサーブをして」とシグナルをだし、そのコースにサーバーはサーブを入れます。前衛がポーチに出るかでないかで、サーバーは動きが変わってきます。ポーチに出るということは、前衛側のサイドが空いてしまいますから、サーバーは、そちらもケアしなければなりません。また、外側(フォア側)にサービスするということはストレートを抜かれないように前衛はケアします。私たちはポーチに出るかでないか、そして、サービスのコースをレシーバーのフォア側、真ん中、バック側の3種類のシグナルを決めました。結果的に6パターンのシグナルがあります。
次にレシーブの時、リターンをクロスに返すか、ダウンザライン(ストレート)に返すか、ロブで返すか、この3種類のシグナルを決めました。
たとえば、サーブが強烈な相手だと、「ロブ」でよく逃げました。パートナーはロブが短くなってスマッシュされるかもしれないとあらかじめケアできます。
シグナルを決めてプレーするのは、そこにボールがいくかどうかわからないのでできない、と思われるかもしれませんが、打つところを決めておけば迷いもなく、そして、パートナーもどこに球が行くかわかっている訳ですから、かえってプレーしやすかったです。
もちろん、パートナーに「No」と言われれば、シグナルを変えました。必ず、ポイントの始め、シグナルを出し「Yes」または「No」と確認しながら構えました。
これは、相手から見るとかなり、プレッシャーになったと思います色黒のアジア人2人が、シグナルして「Yes」or 「No」と確認しながら、プレーするのですから、不気味ですよね。
このシグナルを彼女と組んでいた間一球、たりともしなかったことはありません。このシグナルをすることで、ゲームに集中できましたし、常にパートナーと気持ちが通じていると思えました。
そんな調子で、スタートした1年目の、火曜日のリーグは、結果的にチーム優勝(14チーム中)しました。
Line3とLine4のペアは強くていい人でしたし、Line2の人は強くてわがままなペア(これがまた金髪美人なんですよ)だったので、いずれにしろ強い人ばかりのチームでしたから。
ボニーと私は、でだしはLine1(No1)でスタートしましたが途中で、Line2(No2)だったペアにチャレンジされ負けて、Line2になりました。後半はチャレンジし返して勝って再びLine1でプレーしました。
私のリーグは上から2番目のレベルのBリーグでした。Bで80%以上Line1(No1)でプレーし、勝率が80%以上のペアのみ一番上のAリーグにいくことができます。Aプレーヤーは、みんなの憧れの的でした。
2年目のボニーと私が、Aに行けたかどうかは、次回のお楽しみです。
つづく
今日も、長くなりました。
読んでいただきありがとうございました。
2006年07月12日
(第3話)パートナーを変えるとき
季節的には2003年の3月に、あるクラブに入りました。すでにそこでプレーしている日本人の友達もいました。その友達を通じて、ボニーとソーシャルマッチをするようになり、ボニーとは言葉は違っても、同じ日本人の血が流れていることもあったのかすぐ友達になりました。
リーグは3月に終わります。私は友達から新シーズンに向けて、ボニーが新しいパートナーを探しているという話を聞きました。彼女は前のパートナーと2年間プレーしていました。2年間という期間はパートナーを変えてもいいと思うのに充分な時間なのかもしれません。
彼女の前のパートナーは彼女より年上の白人女性で、気丈で頭脳的なプレーをする人でした。ボニーは彼女からたくさんの事を学んだと後で言っていました。
ボニーがパートナーを探しているということで、何人かの人からオファーがあったらしいです。私はボニーから電話がかかってくるとは思っていませんでした。というか、リーグでレギュラーになる、というのは別世界の事だと思っていました。
彼女から
「Can you be my partner?」
と電話が、かかってきた時は、すぐ、ためらいもなく、
「Yes, I can.」
と答えてました。(なんかプロポーズみたいですね、あはっ)
彼女は
「自分は自分と対等に話ができ、同じぐらい走ってくれるるパートナーがほしかった。前のパートナーは自分より経験豊かでいつも自分は教わるほうだった。彼女には感謝している」
と言いました。
それから、9月からのリーグのレギュラーペアを4組決めるチーム内総当たり戦(Round Robin シーズン始め編参照)のための練習を夏休み中に始めました。
一方、火、水とリーグで試合をするには、体力的精神的にもきつかったので(メアリーはやっていましたが)、メアリーに事情を説明して水曜日は「サブ」にしてもらいました。結局、金曜日のリーグもクラブのチームに入ったので、メアリーとプレーすることはなくなりました。
メアリーは
「ボニーもヒロチャンも、いい人で、
いいプレーヤーだから、がんばって!」
「Go for it!」
と激励してくれました。
ボニーとは、期待通り並行陣でプレーできました。ボニーの方がスマッシュ、ボレーがよく、バックハンドが得意なこともあって、私がデュースサイド、彼女がアドサイドにいきました。とにかく技術面では、彼女はすべて私より上でした。
また、長くなりました。ここで つづく にします。
どのように私たちがプレーしたかは次回書きたいです。
私たちには決め事がありました。
なかなか、前に進まずすみません。
リーグは3月に終わります。私は友達から新シーズンに向けて、ボニーが新しいパートナーを探しているという話を聞きました。彼女は前のパートナーと2年間プレーしていました。2年間という期間はパートナーを変えてもいいと思うのに充分な時間なのかもしれません。
彼女の前のパートナーは彼女より年上の白人女性で、気丈で頭脳的なプレーをする人でした。ボニーは彼女からたくさんの事を学んだと後で言っていました。
ボニーがパートナーを探しているということで、何人かの人からオファーがあったらしいです。私はボニーから電話がかかってくるとは思っていませんでした。というか、リーグでレギュラーになる、というのは別世界の事だと思っていました。
彼女から
「Can you be my partner?」
と電話が、かかってきた時は、すぐ、ためらいもなく、
「Yes, I can.」
と答えてました。(なんかプロポーズみたいですね、あはっ)
彼女は
「自分は自分と対等に話ができ、同じぐらい走ってくれるるパートナーがほしかった。前のパートナーは自分より経験豊かでいつも自分は教わるほうだった。彼女には感謝している」
と言いました。
それから、9月からのリーグのレギュラーペアを4組決めるチーム内総当たり戦(Round Robin シーズン始め編参照)のための練習を夏休み中に始めました。
一方、火、水とリーグで試合をするには、体力的精神的にもきつかったので(メアリーはやっていましたが)、メアリーに事情を説明して水曜日は「サブ」にしてもらいました。結局、金曜日のリーグもクラブのチームに入ったので、メアリーとプレーすることはなくなりました。
メアリーは
「ボニーもヒロチャンも、いい人で、
いいプレーヤーだから、がんばって!」
「Go for it!」
と激励してくれました。
ボニーとは、期待通り並行陣でプレーできました。ボニーの方がスマッシュ、ボレーがよく、バックハンドが得意なこともあって、私がデュースサイド、彼女がアドサイドにいきました。とにかく技術面では、彼女はすべて私より上でした。
また、長くなりました。ここで つづく にします。
どのように私たちがプレーしたかは次回書きたいです。
私たちには決め事がありました。
なかなか、前に進まずすみません。
2006年07月12日
(第2話)パートナーを変えるとき
メアリーと組んで、2年間出ていたリーグは、毎週水曜日にありました。1年目はLine2(チームでNo2)、2年目はLine1(No1)でプレーしていました。また、金曜日の3ヶ月ごとの短期リーグにもメアリーと組んで出ていました。
メアリーは火曜日のリーグにも他のパートナーと組んで出ていましたから、バイタリティのすごい人でした。何でも、
「週に3つリーグに出ていたら
自分でソーシャルマッチをセットしなくていいから楽」
と笑いながらいっていました。それで、月曜は一緒にレッスンまでやってましたからね。そんな人に限って、子供が4人もいるんですから…でも、ちゃんとNanny(ナニー)がいる大金持ちでした。アジア系アメリカ人はそんな人ばかりですよ、あっちは~。
携帯に電話するといつも
「ヘイ、ヒロチャン!!」
て、話が弾みました。
(英語力の関係上私が2割、彼女が8割話す)
ところが、2年目後半あたりから、私たちは雁行陣ですから並行陣の強いペアには勝てなくなってきました。彼女の強力なストロークも前衛のツボに結構、はまってしまってボレーされるんですね。私のボレー、スマッシュも決定力に欠けていました。そういう相手には私たち2人でベースラインにステイして、ひろいまくり、ロブ攻撃ですね。勝つにしてもしんどい試合でした。
私自身も、並行陣でプレーしたいという気持ちが強くなっていきました。
火曜日のリーグはどこかのクラブに所属しないとできませんでした。ステイタスの高いリーグだったのでやっているだけでカッコいいと一般的に思われていました。
私も、帰国がもうすぐだろうし(夫を言いくるめて)あるクラブに入ることにしました。そして、クラブのチームにサブでもいいかという気持ちで、サインナップしました。
そこに、新しいパートナーとなる、日系アメリカ人、ボニーがいました。彼女は、すでに白人のパートナーと、私がサインナップしたチームのLine1(No1)で、バリバリプレーしている存在でした。
たくさん書きすぎました。
つづく にさせていただきます。いつ、終わるんでしょうか?
メアリーは火曜日のリーグにも他のパートナーと組んで出ていましたから、バイタリティのすごい人でした。何でも、
「週に3つリーグに出ていたら
自分でソーシャルマッチをセットしなくていいから楽」
と笑いながらいっていました。それで、月曜は一緒にレッスンまでやってましたからね。そんな人に限って、子供が4人もいるんですから…でも、ちゃんとNanny(ナニー)がいる大金持ちでした。アジア系アメリカ人はそんな人ばかりですよ、あっちは~。
携帯に電話するといつも
「ヘイ、ヒロチャン!!」
て、話が弾みました。
(英語力の関係上私が2割、彼女が8割話す)
ところが、2年目後半あたりから、私たちは雁行陣ですから並行陣の強いペアには勝てなくなってきました。彼女の強力なストロークも前衛のツボに結構、はまってしまってボレーされるんですね。私のボレー、スマッシュも決定力に欠けていました。そういう相手には私たち2人でベースラインにステイして、ひろいまくり、ロブ攻撃ですね。勝つにしてもしんどい試合でした。
私自身も、並行陣でプレーしたいという気持ちが強くなっていきました。
火曜日のリーグはどこかのクラブに所属しないとできませんでした。ステイタスの高いリーグだったのでやっているだけでカッコいいと一般的に思われていました。
私も、帰国がもうすぐだろうし(夫を言いくるめて)あるクラブに入ることにしました。そして、クラブのチームにサブでもいいかという気持ちで、サインナップしました。
そこに、新しいパートナーとなる、日系アメリカ人、ボニーがいました。彼女は、すでに白人のパートナーと、私がサインナップしたチームのLine1(No1)で、バリバリプレーしている存在でした。
たくさん書きすぎました。
つづく にさせていただきます。いつ、終わるんでしょうか?
2006年07月11日
(第1話)パートナーを変えるとき
「ダブルスのパートナーって、結婚相手と同じだね。」
とテニス友達とテニスの後よく話しました。
アメリカから帰国前の約4年間、主に2つのリーグでプレイしていました。期間は9月から3月までで、パートナーは固定です。1チーム、4ペアが試合にでてチームの勝ち数で順位が決まります。
前半の2年間、後半の2年間それぞれ違うパートナーと組んでいました。2年間同じ人とプレーし続けるのは、性格の相性、勝敗のこともありますし、なかなか難しいことだと思います。しかし、それができたのは、我ながら誇れることだと思っています。
最初のパートナー、メアリーは台湾系アメリカ人で、軟式の経験者でした。私がテニスをしているところをコートで見かけ、声をかけられました。彼女は握りが厚くテイクバックした時ラケットの面が地面と平行になってそこからくりだされるストロークはすごく威力がありました。彼女が、セットアップして私が前で決める、というのが私たちのパターンでした。強い相手には彼女は常に後衛にステイします。私がサーブのときはすでに彼女はベースラインにいて、私はサーブを打つとそのまま前衛にいきます。2年間そのパターンで、出るリーグのレベル、自分たちのチームでのポジションも上がっていきました。
性格的にも姉御肌のメアリーと、平和主義の私は(どんな性格?)合っていて、公私共に楽しく過ごしていました。金髪碧眼の白人女性に文句を言われても、彼女はちゃんと言いかえしてくれました。
「Hang on there.(がんばろう)」
「Be patient. (辛抱づよく、ねばろう)」
これが、私たちの決まり文句でした。このころは、私たちはアメリカ人のパワーショットをひろいまくって、メアリーのセットしてくれるチャンスボールを私が決める。というパターンで勝っていました。
彼女は姉御肌なんですが、お茶目なところもありました。球を打つ時気合が入るので、シャラポワのように声がでるんです。それが「うるさいっ」て、時々クレームがつきました。また、彼女はどんな球でもあきらめないんで、ボールを追ってすごく走るんですがその後、止まれなくて、フェンスまで行ってしまって、広いコートを私一人が
「さあ、こいっ!」
て守る羽目になってしまったり。
(彼女とは、笑いあり涙ありの2年間を過ごしました。)
しかし、上のレベルに上がった時、私たちは段々勝てなくなってきました。そのころ、私は、あるクラブの会員になりました。そこで新しいパートナーに出会います。
続きはまた明日。
とテニス友達とテニスの後よく話しました。
アメリカから帰国前の約4年間、主に2つのリーグでプレイしていました。期間は9月から3月までで、パートナーは固定です。1チーム、4ペアが試合にでてチームの勝ち数で順位が決まります。
前半の2年間、後半の2年間それぞれ違うパートナーと組んでいました。2年間同じ人とプレーし続けるのは、性格の相性、勝敗のこともありますし、なかなか難しいことだと思います。しかし、それができたのは、我ながら誇れることだと思っています。
最初のパートナー、メアリーは台湾系アメリカ人で、軟式の経験者でした。私がテニスをしているところをコートで見かけ、声をかけられました。彼女は握りが厚くテイクバックした時ラケットの面が地面と平行になってそこからくりだされるストロークはすごく威力がありました。彼女が、セットアップして私が前で決める、というのが私たちのパターンでした。強い相手には彼女は常に後衛にステイします。私がサーブのときはすでに彼女はベースラインにいて、私はサーブを打つとそのまま前衛にいきます。2年間そのパターンで、出るリーグのレベル、自分たちのチームでのポジションも上がっていきました。
性格的にも姉御肌のメアリーと、平和主義の私は(どんな性格?)合っていて、公私共に楽しく過ごしていました。金髪碧眼の白人女性に文句を言われても、彼女はちゃんと言いかえしてくれました。
「Hang on there.(がんばろう)」
「Be patient. (辛抱づよく、ねばろう)」
これが、私たちの決まり文句でした。このころは、私たちはアメリカ人のパワーショットをひろいまくって、メアリーのセットしてくれるチャンスボールを私が決める。というパターンで勝っていました。
彼女は姉御肌なんですが、お茶目なところもありました。球を打つ時気合が入るので、シャラポワのように声がでるんです。それが「うるさいっ」て、時々クレームがつきました。また、彼女はどんな球でもあきらめないんで、ボールを追ってすごく走るんですがその後、止まれなくて、フェンスまで行ってしまって、広いコートを私一人が
「さあ、こいっ!」
て守る羽目になってしまったり。
(彼女とは、笑いあり涙ありの2年間を過ごしました。)
しかし、上のレベルに上がった時、私たちは段々勝てなくなってきました。そのころ、私は、あるクラブの会員になりました。そこで新しいパートナーに出会います。
続きはまた明日。
2006年07月10日
息子の学園祭
金曜日、レッスンがあれば、今日テニスのお話ができたと思うのですが、金曜日の朝、電話がかかってきて、コーチの体調不良のため
レッスン中止の連絡をうけました。
コーチに何が、起こったのか・・・心配です。
ということで、日曜日、息子の高校の学園祭に行っていたのでその事を書くしかありません。
4月に入学したばかりなので、息子の学校にはまだ、親しいお母さんがいません。先日の保護者会で隣の席になった、優しそうで面白そうなお母さんに電話をして、一緒に行くことにしました。
息子のクラスはうどん屋をやっているということだったので、そのお母さんと(以下、私の友達とよびます)行ってみました。友達の息子さんがそこでウエイターをやっていました。わあー、背の高いイケ面の息子さんです。その息子さん、お母さんの顔を見たとたん奥にひっこみ、しばらくして出てきたと思ったら三角巾で頭を隠し、マスクをして目しか出てない状態で現れました。しかも、お母さんを睨んでいます。それにもめげず、お母さんは息子の姿をカメラにおさめようとしましたが、息子さんは柱の影、人の影に隠れて結局、友達は撮影をあきらめました。年頃の男の子ってそんなんですかね~。うちの息子はその時、うどん屋にはいませんでした。
うどんを食べて、息子属するテニス部はアイスクリームを売っているということだったので友達といってみました…アイスクリーム完売、で店はもう閉まっていました。
息子は会計係で、金券売りをやっていると聞いたので、買いに行ってみましたが、そこには別の男の子が座ってました。
やっぱり、ここでも息子に会えません。
さては、避けてるな…と、思いながら…
さて、息子の高校は、1年生から3年生、各12クラスが劇を催し、コンクールをして上位3クラスが、一般公開の日、アンコール公演を行います。息子のクラスは「ハリーポッター」をやったらしいのですが、惜しくも他のクラス「ちびまるこ」に破れ、アンコール公演は夢と散りました。息子は「ハリー」を演じ、友達の息子は「ロン」を演じました。
(台詞は口パク)
息子の顔は柴田理恵さんに似ていると言われたらしく、息子は
「おか~さん、柴田理恵ってどんな顔?」
って私に聞いてきました。
息子は見方によってはかわいい顔をしていると思いますが…
(みなさんの想像にお任せします)
上演された劇は、やはり高3生による「CATS」とか「アラビアンナイト」とかすばらしいものでした。しかし、上演されなくてもDVDになって後でいただけるということだったのでそれを楽しみに「ハリーポッター」を待つことにしました。
しかし、息子が帰ってきて言いました。
「放送部のミスで、電池切れで俺らの劇が録画されなかったらしい、ふざけんなっ!!」
と、怒ってます。
それを聞いていた、夫がいいました。
「一生の思い出が、一生のうらみ になったな~」
と。
ちなみに、私と別行動で、学園祭に行った夫は、息子にちゃんと会え、息子は、カメラの前で「ピース、ピース」とやっていたらしいです。
(リュリュちゃん、はじめちゃん、私と夫相変わらず別行動で効率的に動いてます。)
終わり
レッスン中止の連絡をうけました。
コーチに何が、起こったのか・・・心配です。
ということで、日曜日、息子の高校の学園祭に行っていたのでその事を書くしかありません。
4月に入学したばかりなので、息子の学校にはまだ、親しいお母さんがいません。先日の保護者会で隣の席になった、優しそうで面白そうなお母さんに電話をして、一緒に行くことにしました。
息子のクラスはうどん屋をやっているということだったので、そのお母さんと(以下、私の友達とよびます)行ってみました。友達の息子さんがそこでウエイターをやっていました。わあー、背の高いイケ面の息子さんです。その息子さん、お母さんの顔を見たとたん奥にひっこみ、しばらくして出てきたと思ったら三角巾で頭を隠し、マスクをして目しか出てない状態で現れました。しかも、お母さんを睨んでいます。それにもめげず、お母さんは息子の姿をカメラにおさめようとしましたが、息子さんは柱の影、人の影に隠れて結局、友達は撮影をあきらめました。年頃の男の子ってそんなんですかね~。うちの息子はその時、うどん屋にはいませんでした。
うどんを食べて、息子属するテニス部はアイスクリームを売っているということだったので友達といってみました…アイスクリーム完売、で店はもう閉まっていました。
息子は会計係で、金券売りをやっていると聞いたので、買いに行ってみましたが、そこには別の男の子が座ってました。
やっぱり、ここでも息子に会えません。
さては、避けてるな…と、思いながら…
さて、息子の高校は、1年生から3年生、各12クラスが劇を催し、コンクールをして上位3クラスが、一般公開の日、アンコール公演を行います。息子のクラスは「ハリーポッター」をやったらしいのですが、惜しくも他のクラス「ちびまるこ」に破れ、アンコール公演は夢と散りました。息子は「ハリー」を演じ、友達の息子は「ロン」を演じました。
(台詞は口パク)
息子の顔は柴田理恵さんに似ていると言われたらしく、息子は
「おか~さん、柴田理恵ってどんな顔?」
って私に聞いてきました。
息子は見方によってはかわいい顔をしていると思いますが…
(みなさんの想像にお任せします)
上演された劇は、やはり高3生による「CATS」とか「アラビアンナイト」とかすばらしいものでした。しかし、上演されなくてもDVDになって後でいただけるということだったのでそれを楽しみに「ハリーポッター」を待つことにしました。
しかし、息子が帰ってきて言いました。
「放送部のミスで、電池切れで俺らの劇が録画されなかったらしい、ふざけんなっ!!」
と、怒ってます。
それを聞いていた、夫がいいました。
「一生の思い出が、一生のうらみ になったな~」
と。
ちなみに、私と別行動で、学園祭に行った夫は、息子にちゃんと会え、息子は、カメラの前で「ピース、ピース」とやっていたらしいです。
(リュリュちゃん、はじめちゃん、私と夫相変わらず別行動で効率的に動いてます。)
終わり
2006年07月08日
サンダーさんの仲間とテニス
リュリュちゃん、今週はサンダーさんのテニスサークル「チューズデイズ」に参加させていただいたんで、忘れないうちに報告するね。
その日は、あいにく朝から雨。これは中止かと思いましたが日頃の行いが良いせいか10時くらいには、雨もやみ午後1時には予定通りみなさん、集まられていました。
その日のメンバーは、男性3人(サンダーさん、Fさん、Yさん)女性3人(Fmさん、Mさん、ひろちゃん)の6名です。女性3人はその日が初めての(旧人ですが)新人でした。
ウオーミングアップをした後、4人づつ4ゲーム先取でどんどんゲームをしていきました。
始めは、Mixダブルス。みなさん殆ど初対面で、はにかみながらプレーしていました。男性は女性をいたわりながらあまり強打はしていない様子。私はサンダーさんと組ませていただき連勝することができました(でもまだみなさん、本気モードではない)。
その時Fさんがつぶやきました。
「このままではたこだ、たこはまぬがれたい…」
たこ?何でしょう?あっそーだ、たこの八ちゃんの8の字をもじって6-0、6-0のことをいうんだ~きっと、などと考えながらMixは終わりました。
元気なMさんが
「次っ、ダンダブして、ダンダブ!!」
と叫びました。「ダンダブ?」「ダンスダンスレボリューション」のことでしょうか?
「男子ダブルスですか~、はい、わかりました」
えっ、でも、男性は3人ですが?
「ひろちゃん、男になってやって!」
「はい、やらせていただきます。」
という流れになって、Fさんと組ませていただきました。
そうすると、男性のみなさん、さっきとは別人のように打ちまくり。Yさんのストロークは豪速球、サンダーさんのサーブはサンダーボルト、Fさんはテク二シャンでボール曲がりまくりです、まったく…。よーし、私も頑張って、スマッシュ打ちまくりといきたかったんですが、空を切ったり、ネットしたり…
でも、会心の一発が1本ありました。みなさん、
「ダンダブだ~っ!」
って叫んでくれました。
女性のFmさんとMさんも、元々運動神経がいいとみえて、おもしろいようにラリーが続きました。本当におもしろい珍プレーもありましたよ~。
段々、みなさん打ち解けて、おばさん3人、調子に乗っちゃいました。男子対女子お願いしますって、挑戦状をたたきつけちゃいました。最初いけるかって思ったんですが、あっという間に1-4で負けちゃいました。
テクニシャンFさんの曲がりまくりサーブとストロークにやられました。私の前にたっていたMさんが、何が起こったのかと振りむくと、Fさんの球のバウンズの直撃を受けた私がいました。恐れ入りました~っ。
そうこうするうちに、YさんとFさんはお仕事で先に帰られました。サンダーさんに女になっていただき、最後はジョダブ(女子ダブルス)で締めて終わりました。
FmさんとMさんと次回のお約束をして、その上、駅までおくっていただきました。そしてひろちゃんは、汗臭いまま家路につきました。
みなさん、お世話になりました。
とても、楽しかったです。
ありがとうございました。
その日は、あいにく朝から雨。これは中止かと思いましたが日頃の行いが良いせいか10時くらいには、雨もやみ午後1時には予定通りみなさん、集まられていました。
その日のメンバーは、男性3人(サンダーさん、Fさん、Yさん)女性3人(Fmさん、Mさん、ひろちゃん)の6名です。女性3人はその日が初めての(旧人ですが)新人でした。
ウオーミングアップをした後、4人づつ4ゲーム先取でどんどんゲームをしていきました。
始めは、Mixダブルス。みなさん殆ど初対面で、はにかみながらプレーしていました。男性は女性をいたわりながらあまり強打はしていない様子。私はサンダーさんと組ませていただき連勝することができました(でもまだみなさん、本気モードではない)。
その時Fさんがつぶやきました。
「このままではたこだ、たこはまぬがれたい…」
たこ?何でしょう?あっそーだ、たこの八ちゃんの8の字をもじって6-0、6-0のことをいうんだ~きっと、などと考えながらMixは終わりました。
元気なMさんが
「次っ、ダンダブして、ダンダブ!!」
と叫びました。「ダンダブ?」「ダンスダンスレボリューション」のことでしょうか?
「男子ダブルスですか~、はい、わかりました」
えっ、でも、男性は3人ですが?
「ひろちゃん、男になってやって!」
「はい、やらせていただきます。」
という流れになって、Fさんと組ませていただきました。
そうすると、男性のみなさん、さっきとは別人のように打ちまくり。Yさんのストロークは豪速球、サンダーさんのサーブはサンダーボルト、Fさんはテク二シャンでボール曲がりまくりです、まったく…。よーし、私も頑張って、スマッシュ打ちまくりといきたかったんですが、空を切ったり、ネットしたり…
でも、会心の一発が1本ありました。みなさん、
「ダンダブだ~っ!」
って叫んでくれました。
女性のFmさんとMさんも、元々運動神経がいいとみえて、おもしろいようにラリーが続きました。本当におもしろい珍プレーもありましたよ~。
段々、みなさん打ち解けて、おばさん3人、調子に乗っちゃいました。男子対女子お願いしますって、挑戦状をたたきつけちゃいました。最初いけるかって思ったんですが、あっという間に1-4で負けちゃいました。
テクニシャンFさんの曲がりまくりサーブとストロークにやられました。私の前にたっていたMさんが、何が起こったのかと振りむくと、Fさんの球のバウンズの直撃を受けた私がいました。恐れ入りました~っ。
そうこうするうちに、YさんとFさんはお仕事で先に帰られました。サンダーさんに女になっていただき、最後はジョダブ(女子ダブルス)で締めて終わりました。
FmさんとMさんと次回のお約束をして、その上、駅までおくっていただきました。そしてひろちゃんは、汗臭いまま家路につきました。
みなさん、お世話になりました。
とても、楽しかったです。
ありがとうございました。
2006年07月08日
はなむけ 川柳
リュリュちゃんの、華々しいデビューを記念してゆあるひさんより、
はなむけの句を送っていただきました。
とっても、うれしかったです。
リュリュとひろ五千マイルを結ぶろぐ (^_^)♪
そして、皆さん、温かいコメントをありがとうございました。これからもよろしくお願いします。
リュリュ & ひろ
はなむけの句を送っていただきました。
とっても、うれしかったです。
リュリュとひろ五千マイルを結ぶろぐ (^_^)♪
そして、皆さん、温かいコメントをありがとうございました。これからもよろしくお願いします。
リュリュ & ひろ
2006年07月07日
ひろちゃんとの出会い
ひろちゃんが、リュリュのデビューと大きな文字で宣伝してくれちゃったので、かなりプレッシャー感じてます。 約束が違うよ~。確か、過剰な宣伝はしない…というお約束が水面下ではあったハズ… って、早くも仲間割れかい?? いやいや、本当は、感謝してます。 でも、実際、緊張してますよ。汗~!
私は、アメリカ生活がそろそろ満20年になろうかとしています。渡米したのは、1986年の10月でした。当時の思い出話は、追々していきたいなって思っています。(どうせ、すぐネタがなくなるでしょうから、小出しにしますー。)
かなりとんで、ひろちゃんとの出会いからー。
ひろちゃんとは、私が14年ほど住んでいたF市からこのI市に越し、しばらくしてから、お互いの友人を介して知り合ったのです。その時の友人がひろちゃんをこう紹介しました。
「ひろちゃんは、テニスをしたらこのI市で右に出る者は、 いないのよ~。」
そう、この一言で決めました。ひろちゃんとは、テニス以外で遊ぼう!っと…。
その友人が私をどう紹介してくれたか全然覚えていませんー。
っで、でも、それからテニス抜きのひろちゃん家との楽しい!お付き合いが始まったのです~。
本当にひろちゃんのテニスを見たことないなんて不思議だよねっ!多分、はじめさんもだよね??
けど、走る姿は、イヤというほど見ましたよ~。男性に混じってリレーにも出てました!
その姿を旦那様がカメラに収めていましたよ~!
私は、アメリカ生活がそろそろ満20年になろうかとしています。渡米したのは、1986年の10月でした。当時の思い出話は、追々していきたいなって思っています。(どうせ、すぐネタがなくなるでしょうから、小出しにしますー。)
かなりとんで、ひろちゃんとの出会いからー。
ひろちゃんとは、私が14年ほど住んでいたF市からこのI市に越し、しばらくしてから、お互いの友人を介して知り合ったのです。その時の友人がひろちゃんをこう紹介しました。
「ひろちゃんは、テニスをしたらこのI市で右に出る者は、 いないのよ~。」
そう、この一言で決めました。ひろちゃんとは、テニス以外で遊ぼう!っと…。
その友人が私をどう紹介してくれたか全然覚えていませんー。
っで、でも、それからテニス抜きのひろちゃん家との楽しい!お付き合いが始まったのです~。
本当にひろちゃんのテニスを見たことないなんて不思議だよねっ!多分、はじめさんもだよね??
けど、走る姿は、イヤというほど見ましたよ~。男性に混じってリレーにも出てました!
その姿を旦那様がカメラに収めていましたよ~!
2006年07月05日
リュリュちゃん本格デビュ~
このブログを始めて、早1ヶ月、なんとかここまで続けることができて、うれしいです。これも、(意識して または たまたま)クリックして読んでくださる方々によるアクセス数、書き込んでくださった温かく、楽しい(おもろい)コメントがはげみになったおかげです。ありがとうございました。
思いおこせば、1ヶ月前、始めたばかりの頃、コメントのない私の記事を、息子たちに”ひとりごとブログ”と、からかわれ、見栄を張りたいばっかりに、アメリカ在住時代のおともだち、リュリュちゃんにメールして”頼むから書き込んでください”とお願いしてしまいました。
それが今では、リュリュちゃんは、いろんなブログへ飛んでいき心に残るコメントを書き込み、ちょっとした、謎の話題の人になっていると思います。実際、私の記事のコメント欄に”リュリュさんのブログが見つかりません、どこでしょうか?”という複数の問い合わせがありました。私も常々、リュリュちゃんのコメントはコメント欄においていくのはもったいないと思っておりました。
そこで、アメリカで忙しいリュリュちゃんではありますが
(何?忙しいのはみんな一緒?はい、もっともです)、
頼み込んで、始めは週に一回私のブログで記事を書いてもらうことになりました。
第1回目は、今週の金曜日に登場予定です。
あっさって、リュリュちゃんがここにきじをかきますっ
みなさん、お楽しみに!!
うるさい、おばさん2人組みですが、今後ともよろしくお願いします
思いおこせば、1ヶ月前、始めたばかりの頃、コメントのない私の記事を、息子たちに”ひとりごとブログ”と、からかわれ、見栄を張りたいばっかりに、アメリカ在住時代のおともだち、リュリュちゃんにメールして”頼むから書き込んでください”とお願いしてしまいました。
それが今では、リュリュちゃんは、いろんなブログへ飛んでいき心に残るコメントを書き込み、ちょっとした、謎の話題の人になっていると思います。実際、私の記事のコメント欄に”リュリュさんのブログが見つかりません、どこでしょうか?”という複数の問い合わせがありました。私も常々、リュリュちゃんのコメントはコメント欄においていくのはもったいないと思っておりました。
そこで、アメリカで忙しいリュリュちゃんではありますが
(何?忙しいのはみんな一緒?はい、もっともです)、
頼み込んで、始めは週に一回私のブログで記事を書いてもらうことになりました。
第1回目は、今週の金曜日に登場予定です。
あっさって、リュリュちゃんがここにきじをかきますっ
みなさん、お楽しみに!!
うるさい、おばさん2人組みですが、今後ともよろしくお願いします
2006年07月04日
The Fourth of July 今日は独立記念日
おおっ、気がつきました。今日は7月4日、アメリカでは
「Independence Day ;The Fourth of July」
独立記念日
です。
1776年、イギリスの13の植民地が、独立戦争に勝利しアメリカ合衆国が誕生した日です。アメリカ星条旗の13本の線はこの13の州を表すのは、ご存知だと思います。
この日は、当時の人たちの仮装をして近所のアメリカ人の人はパレードしていました。
花火(Fireworks)は一般的に禁止されていますがこの日だけはお許しが出て、夜はいたるところで花火大会です。
私の家族がアメリカで過ごした最後の7月4日を思い出してみました。
その日は、息子の友達のご家族に、お父さんが会員のゴルフ場でおこなわれたお祭りに招かれました。昼間は、移動遊園地がゴルフ場にやってきて子供は遊びたい放題、我々も食べ飲み放題です。ただしチケットにその料金はすでに含まれていたと思いますが。なんせ、招いていただいたんで、とにかく、感謝でした。
(確か、息子のバースディに息子さんをお招きしたんですが、そのお返しにしては明らかに大きすぎました。でも、うれしかったです。)
夜は、そのゴルフ場で、花火大会です。みんな、芝の上に寝転んで30分ぐらいでしょうか?ひたすら、打ち上げられる花火をみました。大きく、きれいでした。
その後は、そのお友達の家の前で、花火をやって、お開きになりました。年に1回だけ、自分の家で花火ができる日ですから、皆さん盛り上がってました。
アメリカの私の友達、リュリュちゃんたち(注)は、どんな、独立記念日を過ごしているんでしょうか?
バーベキューして、肉のにおいにつられてやってくるコヨーテたちを、花火で撃退してるんでしょうか?
(本当に、庭でバーベキューしていると、けものの雄たけびが聞こえてくるようなところなんです。)
なつかしいです…
(注)初めての方へ。リュリュちゃんは私によくコメントをくれるアメリカ在住の友達です。
「Independence Day ;The Fourth of July」
独立記念日
です。
1776年、イギリスの13の植民地が、独立戦争に勝利しアメリカ合衆国が誕生した日です。アメリカ星条旗の13本の線はこの13の州を表すのは、ご存知だと思います。
この日は、当時の人たちの仮装をして近所のアメリカ人の人はパレードしていました。
花火(Fireworks)は一般的に禁止されていますがこの日だけはお許しが出て、夜はいたるところで花火大会です。
私の家族がアメリカで過ごした最後の7月4日を思い出してみました。
その日は、息子の友達のご家族に、お父さんが会員のゴルフ場でおこなわれたお祭りに招かれました。昼間は、移動遊園地がゴルフ場にやってきて子供は遊びたい放題、我々も食べ飲み放題です。ただしチケットにその料金はすでに含まれていたと思いますが。なんせ、招いていただいたんで、とにかく、感謝でした。
(確か、息子のバースディに息子さんをお招きしたんですが、そのお返しにしては明らかに大きすぎました。でも、うれしかったです。)
夜は、そのゴルフ場で、花火大会です。みんな、芝の上に寝転んで30分ぐらいでしょうか?ひたすら、打ち上げられる花火をみました。大きく、きれいでした。
その後は、そのお友達の家の前で、花火をやって、お開きになりました。年に1回だけ、自分の家で花火ができる日ですから、皆さん盛り上がってました。
アメリカの私の友達、リュリュちゃんたち(注)は、どんな、独立記念日を過ごしているんでしょうか?
バーベキューして、肉のにおいにつられてやってくるコヨーテたちを、花火で撃退してるんでしょうか?
(本当に、庭でバーベキューしていると、けものの雄たけびが聞こえてくるようなところなんです。)
なつかしいです…
(注)初めての方へ。リュリュちゃんは私によくコメントをくれるアメリカ在住の友達です。
2006年07月03日
駐在員妻 三種の神器
長い間、アメリカにいましたが、親しい友人がたくさんできたのは、日本人アメリカ人問わず、やっぱり、テニスのおかげでした。
あっ、リュリュちゃん、はじめちゃんは特別です。子供が仲良しで、私たちも気が合っちゃいました。はい、お笑い3人組です。
アメリカにいったばかりの時はもちろん、友達いませんでした。そういう、私たちに近づいてくるんですよね~。魔の手が…
アメリカにいったばかりの時には2人の息子も2才と4才で、ベビーシッターつきの英会話教室へ通ってました。そこには同じような日本人のお母さん方が何人かきていました。
同じグループになった、若~いきれいな奥さんが、話しかけてきました。友達がいなかったんで喜んでお話して
「遊びに行ってもいいですか~?」
っていわれて、
「どーぞ、どーぞ」
て、お招きしたんですよ。
(女の人でもきれいな人に弱い私)
しばらく、歓談した後…「すいません、ちょっとお時間いただけます?」って、いきなり机の上に理科の実験セットがでてきて、
「これが普通の洗剤、これがAm○○○の洗剤です。」
と始まったんですよ。結局、話にながされて、次は鍋売りの
「鍋デモ パーティをお宅でやりましょう」
という話になって…相手のペースから抜け出すのに半年ぐらいかかりました。
確かに物はいいんです。でも、勧誘の仕方に問題を感じました。
私みたいに、列に割り込まれても文句言えない人間はつらいです。
でも、私の偉かった点は、ぎりぎりまで相手のペースに乗るんですが最後「いいかげんにしてください!!」って逆切れしてお断りしてました。
(でも、同じ日本人補習校でよく会うお母さんでしたし後には普通の関係になりました。)
駐在員の妻が必ず、出会う3つの神器 それは
、
Am○○○
Tapper wear (日本で買うと高い)
Basket (高いバスケット、籠:
でも日本で買うとめちゃ高い)
と、私は感じました。でも、好みは人それぞれですよね。私のケースがそういう感じだっただけで。パーティと称して、よく皆さん集まってました。
(ごめんなさい、魔の手とか書いちゃって)
テニスを始めてからは、殆どその世界には行きませんでした。
今でも、台所の下の戸棚に
Am○○○の巨大な鍋が眠っております。
あっ、リュリュちゃん、はじめちゃんは特別です。子供が仲良しで、私たちも気が合っちゃいました。はい、お笑い3人組です。
アメリカにいったばかりの時はもちろん、友達いませんでした。そういう、私たちに近づいてくるんですよね~。魔の手が…
アメリカにいったばかりの時には2人の息子も2才と4才で、ベビーシッターつきの英会話教室へ通ってました。そこには同じような日本人のお母さん方が何人かきていました。
同じグループになった、若~いきれいな奥さんが、話しかけてきました。友達がいなかったんで喜んでお話して
「遊びに行ってもいいですか~?」
っていわれて、
「どーぞ、どーぞ」
て、お招きしたんですよ。
(女の人でもきれいな人に弱い私)
しばらく、歓談した後…「すいません、ちょっとお時間いただけます?」って、いきなり机の上に理科の実験セットがでてきて、
「これが普通の洗剤、これがAm○○○の洗剤です。」
と始まったんですよ。結局、話にながされて、次は鍋売りの
「鍋デモ パーティをお宅でやりましょう」
という話になって…相手のペースから抜け出すのに半年ぐらいかかりました。
確かに物はいいんです。でも、勧誘の仕方に問題を感じました。
私みたいに、列に割り込まれても文句言えない人間はつらいです。
でも、私の偉かった点は、ぎりぎりまで相手のペースに乗るんですが最後「いいかげんにしてください!!」って逆切れしてお断りしてました。
(でも、同じ日本人補習校でよく会うお母さんでしたし後には普通の関係になりました。)
駐在員の妻が必ず、出会う3つの神器 それは
、
Am○○○
Tapper wear (日本で買うと高い)
Basket (高いバスケット、籠:
でも日本で買うとめちゃ高い)
と、私は感じました。でも、好みは人それぞれですよね。私のケースがそういう感じだっただけで。パーティと称して、よく皆さん集まってました。
(ごめんなさい、魔の手とか書いちゃって)
テニスを始めてからは、殆どその世界には行きませんでした。
今でも、台所の下の戸棚に
Am○○○の巨大な鍋が眠っております。
2006年07月01日
梅宮 事件
アメリカでよく、テニスをした後そのままの格好で、時には足を出したままで、買い物にいっていました。周りのアメリカ人たちは普段でも、露出度の高い服をきていますから誰もテニスウエアの私を気にしません。ショートパンツも日本のように、ほどよく太ももが隠せる丈のものは全くなく、太ももが上から5cmぐらいしか隠れない丈のものしかありませんでした。
日本の駐在員の子供が毎週土曜日に通う日本人補習校の近くに大きい日系マーケットがありました。家から車で30分ぐらいかかるので子供を送り迎えする時、立ち寄って、皆さん、買い込んでいました。だから、土曜日の特に午後はすごく、混雑していました。
そこで、こんな経験をしました。
混雑した店内で、やっと品物をえらんで、レジに並びました。前には3人ぐらい人がいました。その時、私の前にならんでいたきれいなあか抜けた女性が
「すみません、カートみといていただけます?」
と、話しかけてきたので、何か買い忘れがあったのだと思い
「いいですよ。どうぞ。」
といいました。しばらくして、その女性が戻ってきて、大きな声だ、
「こっち、こっち」
と叫びました。
そ、そしたら…、あの(くいしんぼう?)梅宮辰夫さんが奥さんとカートを押して、な~んにも言わずに、私の前にはいってきました。しかも、カートには米、電気釜じゃない炊飯器、魚、肉…、山盛りの商品と食料を積んで。
「は~???」
と頭が混乱しましたが、何も言えず梅宮さんの数百ドルの買い物の、レジが終わるまでじーっと待ってました。(現金で払われてました)その間、彼らは
「娘のアンナがね~」
とか話してました。
この出来事が、社会的に正か否か、よくわかりません。
時々、列に割り込まれ、何もいえない私たちがいました。空港で、アメリカ人の若いカップルが、私たち家族の前に割り込んできました。夫に「何かいってよ!!」とささやいても、言葉がでません。そのうち、後ろに並んでいた銀髪のオバーさんが
「あんたら!!なにかんがえとるん!!」
と怒ってくれて、男性のほうはばつ悪そうに後ろに行きましたが、女性のほうは逆切れしてました。
夫は、オバーさんのあとから「そーだ、そーだ」と小さい声で言ってました。日本男性は金髪女性にど~も弱いように思えますっ
まあ、そういう場面以外では夫は、頼りになったことにしておきます。
アメリカでは夫が頼りに感じられるようになる奥さんと、そうでない奥さん、2種類あるようですよ~…
夫婦関係びみょ~!!
↑事件が起こった日系スーパー(昔良く通ってた)↑
日本の駐在員の子供が毎週土曜日に通う日本人補習校の近くに大きい日系マーケットがありました。家から車で30分ぐらいかかるので子供を送り迎えする時、立ち寄って、皆さん、買い込んでいました。だから、土曜日の特に午後はすごく、混雑していました。
そこで、こんな経験をしました。
混雑した店内で、やっと品物をえらんで、レジに並びました。前には3人ぐらい人がいました。その時、私の前にならんでいたきれいなあか抜けた女性が
「すみません、カートみといていただけます?」
と、話しかけてきたので、何か買い忘れがあったのだと思い
「いいですよ。どうぞ。」
といいました。しばらくして、その女性が戻ってきて、大きな声だ、
「こっち、こっち」
と叫びました。
そ、そしたら…、あの(くいしんぼう?)梅宮辰夫さんが奥さんとカートを押して、な~んにも言わずに、私の前にはいってきました。しかも、カートには米、電気釜じゃない炊飯器、魚、肉…、山盛りの商品と食料を積んで。
「は~???」
と頭が混乱しましたが、何も言えず梅宮さんの数百ドルの買い物の、レジが終わるまでじーっと待ってました。(現金で払われてました)その間、彼らは
「娘のアンナがね~」
とか話してました。
この出来事が、社会的に正か否か、よくわかりません。
時々、列に割り込まれ、何もいえない私たちがいました。空港で、アメリカ人の若いカップルが、私たち家族の前に割り込んできました。夫に「何かいってよ!!」とささやいても、言葉がでません。そのうち、後ろに並んでいた銀髪のオバーさんが
「あんたら!!なにかんがえとるん!!」
と怒ってくれて、男性のほうはばつ悪そうに後ろに行きましたが、女性のほうは逆切れしてました。
夫は、オバーさんのあとから「そーだ、そーだ」と小さい声で言ってました。日本男性は金髪女性にど~も弱いように思えますっ
まあ、そういう場面以外では夫は、頼りになったことにしておきます。
アメリカでは夫が頼りに感じられるようになる奥さんと、そうでない奥さん、2種類あるようですよ~…
夫婦関係びみょ~!!
↑事件が起こった日系スーパー(昔良く通ってた)↑