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ひろちゃんテニス記 - ひろちゃん&みんなのおしゃべりラリー アメリカでリーグ経験のあるひろちゃんのテニス日記です。

ひろちゃんは約10年アメリカに駐在し、その間、リーグに参加してアメリカのハードテニスでもまれてきました。帰国後はまた新しいテニス環境で奮闘中です。
1から出直しです。
時々川柳その1
これからは 技で勝負だ
走れない
体力不足
時々川柳その2
おばさんは もとをとるまで
たおれません
コーチのお言葉
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08/28 09:16
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レフティスタイル 10/09 18:32
>>レフティさん…
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こんばんは!試合…
レフティスタイル 09/18 18:59
>>レフティさん…
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ひろちゃん、こんにち…
レフティスタイル 08/28 12:55
>>maryさん…
ひろちゃん 08/09 08:48
こんにちは。ご無…
mary 08/09 03:48
>>レフティさん…
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>>しんころさん…
ひろちゃん 07/15 10:00
>>ひろちゃんよ…
レフティスタイル 07/12 12:34
毎日暑いですね~…
しんころ 07/10 23:27
>>レフティさん…
ひろちゃん 07/10 08:31
>>みうみうさん…
ひろちゃん 07/10 08:26
ひろちゃん、こんにち…
レフティスタイル 07/09 12:04
お帰りなさい。…
みうみう 07/08 14:49
>>レフティさん…
ひろちゃん 07/02 09:02
>>maryさん…
ひろちゃん 07/02 08:56
>>みうみうさん…
ひろちゃん 07/02 08:51
>>みうみうさん…
ひろちゃん 07/02 08:41
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お蔵入り

年末の大(小?)掃除のついでに
テニスウエアウィメンズウェアの引き出しの整理をしました。
アメリカリーグラケット赤炎に参加していた時の
チームユニフォームが出てきました。
キラキラ思い出いっぱいです。しずく
基本形をアレンジした自分の好きなデザインを選べました。
肌を露出したい人はそれなりに、隠したい人はそれなりに選べました
冷や汗

この先着ることあるかな~クエスチョン・マーク
日本の最近のものと感じも違うしな~クエスチョン・マーク

         wear


 2度と着ないでしょう(薄すぎます)↓  着易くて好きハートでした↓
  wear1      wear2


 リーグ優勝トロフィーしたときのです↓  噂のハイビスカス柄冷や汗  
 wear4     wear3  

 キラキラ光ってます↓   
  wear5

   はにわ 引き出しの奥深く眠らせましたZZZスター

    さようなら~







USテニスライフ | 投稿者 ひろちゃん 07:25 | コメント(13)| トラックバック(0)

ビッグ ホワイト タワ~

昨日のリュリュちゃんの記事に、アメリカンネームの中国系、韓国系アメリカ人、グレースさんジェニファさんが、登場したんで、私もたくさんいた、台湾系のテニス友達のことを思い出しました。

彼女たちとはテニスコートコートで知り合いました。彼女たちはお金持ちで、大学からアメリカに留学し、そのままアメリカで結婚、アメリカ国籍をとった人が殆どです。子供さんたちはもう中身はアメリカ人ていう感じでした。

テニス友達ラケット赤でしたが、彼女たちはキラキラ日本のドラマが大好きハートで、日本のドラマのDVD(中国語の字幕つき)をいっぱい持っているんです。よく借してもらいました。
木村拓哉さんはもちろん竹之内豊さん、江口洋介さんなど、よく知っていました。
キムタクさんのドラマDVDは殆ど彼女たち持っていて、

  「理想の結婚(竹ノ内豊さん、常盤貴子さん)」
  「氷の世界(竹ノ内豊さん、松島菜々子さん)」

とかも、彼女たちから借りてみました。
そして、ドラマについて語り合いました。
パーフェクト・マリッジ」とか「アイス・ワールド」とか
で、通じるんですよ、ハハハ…冷や汗

ラストサムライ」もアメリカでDVDが出る前に彼女たちはDVDをもっていて、借りて見ました。
ひょっとして、あれが海賊版というやつか冷や汗

すごいと思ったのは、韓流ドラマが日本で流行る前から、もう「次はコリアドラマが、ブレイクするから」と予言していたことです。びっくり

とにかく、彼女たちと楽しく過ごした時間も私のアメリカ生活の大きな思い出です音符

 <問題1クエスチョン・マーク> 彼女たちが日本ドラマですごくキラキラ感動したのが、

       「ビック ホワイト タワー」

     なんですが、なんのドラマかわかりますかクエスチョン・マーク

   私も最初?でしたが、わかったら、笑っちゃいました。 イシシ

     彼女たちと、帰国前とった写真です。
      ミッシェル、イーレン、ヒルダ、メアリ、モーリン
      と写っている、ひろちゃんです~
!↓
  meari2
 
 <問題2クエスチョン・マーク>私たちは何故、を連れているのでしょうクエスチョン・マーク

   わかるかな~クエスチョン・マーク音符スマイル


USテニスライフ | 投稿者 ひろちゃん 15:03 | コメント(27)| トラックバック(0)

日曜小写真館

今日曇りアメリカでテニスラケット赤をしていた時のキラキラ思い出の品の写真を載せます。
素人写真なのでお許しください。冷や汗

2004年の火曜日のリーグキラキラチーム優勝した時、
優勝チームのメンバーそれぞれに贈られた「ペンダントトップ」です。
リーグのイニシャル「P」と「S]が入っています。
優勝チーム限定の品でした。
1年間を通じての、リーグだったので優勝した時は感無量でした。
アメリカのテニスライフ1番の思い出です。
パートナーだったボニ~、最高の思い出をありがと~エクスクラメーション・マーク
貧乏性なのであまりつけていません
  rk2

私の帰国が決まったとき、水曜日のリーグのチームメイトから贈られた、クリスタルのラケットの置物です。
今では、時々出してながめて彼女たちのことを思い出しています。
メアリ~、会いたいよ~エクスクラメーション・マーク
  rk1

数少ない一生の思い出になりそうな2品でした。
これからも、いい思い出が作れることがあればいいな~スマイル

USテニスライフ | 投稿者 ひろちゃん 14:02 | コメント(8)| トラックバック(0)

試合の後、おもてなし in the US

さて、先日、アメリカでの私の2年間におよぶ、リーグの様子を連載させていただきました。
その時、試合のあと毎回、ホームコートのチームが相手チームに、お昼をごちそうするのが慣わしでした。

私は、水曜日と火曜日のリーグに出ていました。水曜日ポットラック(持ち寄り)火曜日クラブハウスのカフェでランチという感じでした。試合のレベルは、火曜日のリーグの方が高いものでしたが、水曜日は、アットホームな雰囲気で、試合の後のポットラックが私は好きでした。スマイル

水曜日は前にも述べましたが、台湾系アメリカ人のメアリー悪だくみ悪だくみと組んでいました。一般的にアメリカの人へへへごめんなさい、ポットラックの時、持ってくるものは、買ってくるか、混ぜるだけ(サラダ)、はさむだけ(サンドイッチ)の簡単なものが、殆どです。
しかし、リーグに入ったばかりで、自分たちの番が回ってきた時、事情のわからない私は、たいそうに考えすぎ、朝早くおきて、木桶ちらし寿司を作ってしまいました(アメリカ人向きにスモークサーモンとか、きのこを入れて)メアリーは、デザート担当で飲み物(市販の炭酸飲料)とケーキを用意しました。

私は、本当は大変だったのに、口では「簡単、簡単」と笑っていたので冷や汗、   

   みんなに本当に

      「簡単なんだ~」

   と思われてしまいました。

結構、私のちらし寿司はよろこんでもらえ、私とメアリーが当番の時は、日本食が出てくると、思われてしましました。
   メアリーも私に
    「ヒロチャン、次もアレ、タノムアルヨ。」
   と、リクエストしてきます。悪だくみ

ある日、私は自分の当番の日、朝から「鳥の照り焼き」を、何十人分か作りました。冷や汗
しかし、早朝からの、疲労がたたって、その日の試合に負けてしまいました。まいったぁ失礼しました

   その時、やっと、メアリーは気づいてくれて、 
    「ヒロチャン、モウ、ムリスルデ、ナイヨ。」にっこり
   ということに、なりました。

しかし、見栄を張り続けた、私が悪かったんです~。やっちゃったぁ

アメリカには、色々な種類のボックス・ケーキミックスがあって、卵、牛乳、水を加えるだけで、簡単にケーキができました。
日本では、材料の量は重さ()が主流ですが、アメリカカップとスプーン2分の1とか4分の1)が主流でわかりやすかったです。
メアリーは、いつも美味しいケーキ簡単に作ってきてくれました。
       ↓(こんなんです
      

USテニスライフ | 投稿者 ひろちゃん 09:19 | コメント(24)| トラックバック(0)

(完結編)パートナーを変えるとき

今まで、お付き合いくださり、ありがとうございました。今日で、やっと完結します。
<前回までのあらすじ>
11勝2敗で、前半戦を終えたボニーと私。後半戦を10勝3敗以上、つまり、通算21勝5敗以上で終えれば、私たちはAプレーヤーになれます。しかし私は足を負傷し、3月に帰国も決まってしまいました。



1月に入り、後半戦13試合が始まりました。足を痛めた私は、病院にいって飲み薬をもらい、リーグが休みの間(クリスマス、ニューイヤー休暇)はテニスができていませんでした
案の定、後半戦1試合目は私の動きが悪くて、前半戦で勝った相手にもかかわらず負けてしまいました。撃沈その後は、なんとか持ち直し、連勝していきました。ビミョー

しかし、また2月の始めの試合中に、同じふくらはぎを肉離れしてしまいました。まいったぁその試合も、なんとかボニーに走り回ってもらって勝つことができました。冷や汗ボニーは無理をして欲しくないと心配して言ってくれましたが、私はなんとか帰国するまでにAに2人悪だくみ悪だくみでいきたいと思っていました。そのころはもう、火曜日のリーグで試合を何とか続けようと必死でした。ボニーも私に負担をかけないようにいつも以上に積極的に動き決めてくれました。彼女の方がしんどかったと思います。

足を痛めた翌週は、私は、さすがに試合には出れず、ボニーはサブとLine2(No2)でプレーしました。この時のボニーの勝ち数はLine2なのでカウントされません。
その次の試合から、私は復帰しました。(お医者様でもらった薬が、結構効きました。)しかし、3月初めにまた1回負けてしまいました。ビミョー相手は負けても納得できるリーグ屈指の強いペアでした。
3月始めの段階で負け数4、カウントされない勝ち数1でした。通算5回より多く負けるとAへの夢は消えてしまいますから、これ以上負けることができませんでした。残り全試合勝たなければなりません。

私たち家族が日本に帰国する日が3月26日で、ボニーと私が最後にプレーするリーグの最後の日が3月21日でした。
足を冷やさないようにロングパンツをはきサポーターをして、試合前に飲み薬を飲み、試合に毎週出続けました。
おかしかったのは、なぜか、他のチームメイトもみんなへへへ悪だくみごめんなさい、ロンパンでプレーしていました。きっと、みんな負傷することを恐れたのだと思います。

そして、なんとか3月21日に”ギリギリ”21回目の勝利をあげることができました。ピースピース

晴れて、ボニーと私はAプレーヤーになる資格を得ました。Aリーグは、個人戦で毎回別の人とプレーをし個人の勝率でランキングがついていきます。現在、ボニーはAで中々の成績で頑張っています

私は、帰国しましたが、あれほど、必死にテニスをやったことはありませんでした。燃え尽きたという感じでした。

チームのみんな照れちゃう悪だくみごめんなさいも私たちがAに行くことを、心から応援し支えてくれました。
チームとしては、14チーム中真ん中の成績でシーズンを終えました。

アメリカで過ごした、この経験と思い出は、大切にしたいと思います。

これで、連載は おわり とさせていただきます。
ありがとうございました。

USテニスライフ | 投稿者 ひろちゃん 09:48 | コメント(14)| トラックバック(0)

(第5話)パートナーを変えるとき

新しいシーズン(2004年9月~2005年3月)に向けて、Bチームへのサインナップが始まりました。それは2004年の4月でした。ボニーと私はもちろん、サインナップしました。他のメンバーも殆ど同じ顔ぶれでしたが、Line2だった金髪美人2人組み照れちゃう照れちゃうは、チームを去っていきました。彼女たちは前回のリーグでAプレーヤー(前回の記事参照)になるのが目標だったのですが、それが果たせず気持ちを切り替えたいようでした。キャプテンの意見で、去年のままのラインナップにしようということになりボニーと私はそのままLine1で、プレーすることになりました。
前シーズン、優勝したのでピース今回は、楽しくプレーしたいと、みんな、思っていました。しかし、最下位2チームは下のリーグに落とされるので、それだけはまねがれたい、とも思っていました。

2年目に入って、ボニーと私悪だくみ悪だくみはより以心伝心状態になりました。私たちは並行陣でプレイしていましたが、ボニーはとにかく前に行くのが好きで、地を這うようにいつの間にか私の隣に来ていました。リターン以外、ストロークをしないといっても過言ではありませんでした。フットワークがいいんです。そのくせ、ロブで頭上を抜かれても、ベースラインまでもどっていき高~いロブを返します。でも、そんなボニーと私が、1セット落とした後は2人でベースラインにステイしてストローク合戦をやってみたり、負けている時は何か違うことをやってみる事を前シーズンの経験から学んでいました。

また、新しい試みとしてI(アイ)-フォメーションサーブを、とりいれました。私はサーブに自信がなく、自分のサービスゲームをよく落としていました。しかし、このI-フォメーションサーブはスピードより、コントロールが大事だったので私には合っていました。I―フォメーションサーブはご存知だと思いますが、サーバーと前衛がIの字のように重なります。サーバーは、ベースラインの真ん中からサーブし、前衛はセンターラインをまたいでサービスライン上あたりに体勢を低く構えます。ここでも前衛は、「Go」(ポーチ)か「ステイ」かシグナルを出しサーバーはサービスをした後、前衛の動きと基本的には反対側斜め前に動きます。
このI-フォメーションサーブは、ピンチの時、チャンスの時、相手の動揺びっくりを誘い流れをこちらに向けることができました。どこにリターンするか迷ってネットするレシーバーも結構いました。このサーブのおかげで、ますます、私たちは「いやらしいテニス」をするという評判がたちました。

12月の始めにリーグの前半が終了します。クリスマスとニューイヤーを迎えて、後半が始まります。私たちは11勝2敗で前半を終えました。全試合26の内、21回勝てば、私たちはAリーグにいけます

しかし、前半の最後の試合で、私は足を痛めてしまいました。1セットをとって、2セット目の始めでふくらはぎを軽くですが肉離れしてしまいました。やっちゃったぁボニーは棄権しようといってくれましたが、そのまま続けてなんとか勝てました。ボニーがひとりでコートを走り回ってくれました。

しかも、私の負傷に加えて12月末、夫に3月に帰国という内示もでてしまいました。

    ピンチです!

ここで、つづく にさせていただきます。
ご拝読ありがとうございます…

    スマイル
USテニスライフ | 投稿者 ひろちゃん 09:15 | コメント(8)| トラックバック(0)

(第4話シグナル)パートナーを変えるとき

さて、ボニーと正式に組むことが決まって、どのようにプレイするか話し合いました。
その結果、私たちはシグナルを決めてプレーすることにしました。

まず、サービス権がある時、前衛の人が「ポーチにでるからここに(強く)サーブして」または「出ないからここにサーブをして」シグナルをだし、そのコースにサーバーはサーブを入れます。前衛がポーチに出るかでないかで、サーバーは動きが変わってきます。ポーチに出るということは、前衛側のサイドが空いてしまいますから、サーバーは、そちらもケアしなければなりません。また、外側(フォア側)にサービスするということはストレートを抜かれないように前衛はケアします。私たちはポーチに出るかでないか、そして、サービスのコースをレシーバーのフォア側、真ん中、バック側の3種類のシグナルを決めました。結果的に6パターンのシグナルがあります。

次にレシーブの時、リターンクロスに返すか、ダウンザライン(ストレート)に返すか、ロブで返すか、この3種類のシグナルを決めました。
たとえば、サーブが強烈な相手だと、「ロブ」でよく逃げました。パートナーはロブが短くなってスマッシュされるかもしれないとあらかじめケアできます。

シグナルを決めてプレーするのは、そこにボールがいくかどうかわからないのでできない、と思われるかもしれませんが、打つところを決めておけば迷いもなく、そして、パートナーもどこに球が行くかわかっている訳ですから、かえってプレーしやすかったです。スマイル

もちろん、パートナーに「No」と言われれば、シグナルを変えました。必ず、ポイントの始め、シグナルを出し「Yes」または「No」と確認しながら構えました。
これは、相手から見るとかなり、プレッシャーになったと思います色黒のアジア人2人悪だくみ悪だくみが、シグナルして「Yes」or 「No」と確認しながら、プレーするのですから、不気味ですよね。

このシグナルを彼女と組んでいた間一球、たりともしなかったことはありません。このシグナルをすることで、ゲームに集中できましたし、常にパートナーと気持ちが通じていると思えました。にっこり

そんな調子で、スタートした1年目の、火曜日のリーグは、結果的にチーム優勝(14チーム中)しました。ピース
Line3とLine4のペアは強くていい人でしたし、Line2の人は強くてわがままなペア(これがまた金髪美人なんですよ)だったので、いずれにしろ強い人ばかりのチームでしたから。

ボニーと私は、でだしはLine1(No1)でスタートしましたが途中で、Line2(No2)だったペアにチャレンジされ負けて、Line2になりました。後半はチャレンジし返して勝って再びLine1でプレーしました。

私のリーグは上から2番目のレベルのBリーグでした。Bで80%以上Line1(No1)でプレーし、勝率が80%以上のペアのみ一番上のAリーグにいくことができます。Aプレーヤーは、みんなの憧れの的でした。照れちゃう

2年目のボニーと私が、Aに行けたかどうかは、次回のお楽しみです。にっこり

    つづく
 
今日も、長くなりました。
読んでいただきありがとうございました。
スマイル
USテニスライフ | 投稿者 ひろちゃん 10:47 | コメント(10)| トラックバック(0)

(第3話)パートナーを変えるとき

季節的には2003年の3月に、あるクラブに入りました。すでにそこでプレーしている日本人の友達もいました。その友達を通じて、ボニーとソーシャルマッチをするようになり、ボニーとは言葉は違っても、同じ日本人の血が流れていることもあったのかすぐ友達になりました。

リーグは3月に終わります。私は友達から新シーズンに向けて、ボニーが新しいパートナーを探しているという話を聞きました。彼女は前のパートナーと2年間プレーしていました。2年間という期間はパートナーを変えてもいいと思うのに充分な時間なのかもしれません。
彼女の前のパートナーは彼女より年上の白人女性で、気丈で頭脳的なプレーをする人でした。ボニーは彼女からたくさんの事を学んだと後で言っていました。

ボニーがパートナーを探しているということで、何人かの人からオファーがあったらしいです。私はボニーから電話がかかってくるとは思っていませんでした。というか、リーグでレギュラーになる、というのは別世界の事だと思っていました。
彼女から
   「Can you be my partner?」
と電話が、かかってきた時は、すぐ、ためらいもなく、
   「Yes, I can.」
と答えてました。(なんかプロポーズみたいですね、あはっ)ハート
彼女は
「自分は自分と対等に話ができ、同じぐらい走ってくれるるパートナーがほしかった。前のパートナーは自分より経験豊かでいつも自分は教わるほうだった。彼女には感謝している」
と言いました。

それから、9月からのリーグのレギュラーペアを4組決めるチーム内総当たり戦(Round Robin シーズン始め編参照)のための練習を夏休み中に始めました。

一方、火、水とリーグで試合をするには、体力的精神的にもきつかったので(メアリーはやっていましたが)、メアリーに事情を説明して水曜日は「サブ」にしてもらいました。結局、金曜日のリーグもクラブのチームに入ったので、メアリーとプレーすることはなくなりました。
メアリーにっこり
   「ボニーもヒロチャンも、いい人で、
    いいプレーヤーだから、がんばって!」
   「Go for it!」 

と激励してくれました。

ボニーとは、期待通り並行陣でプレーできました。ボニーの方がスマッシュ、ボレーがよく、バックハンドが得意なこともあって、私がデュースサイド、彼女がアドサイドにいきました。とにかく技術面では、彼女はすべて私より上でした。
  
   また、長くなりました。ここで つづく にします。
   どのように私たちがプレーしたかは次回書きたいです。

      私たちには決め事がありました。

なかなか、前に進まずすみません。
USテニスライフ | 投稿者 ひろちゃん 20:40 | コメント(5)| トラックバック(0)

(第2話)パートナーを変えるとき

メアリーと組んで、2年間出ていたリーグは、毎週水曜日にありました。1年目はLine2(チームでNo2)、2年目はLine1(No1)でプレーしていました。また、金曜日の3ヶ月ごとの短期リーグにもメアリーと組んで出ていました。

メアリーは火曜日のリーグにも他のパートナーと組んで出ていましたから、バイタリティのすごい人でした。何でも、
   「週に3つリーグに出ていたら
  自分でソーシャルマッチをセットしなくていいから楽」
と笑いながらガハハいっていました。それで、月曜は一緒にレッスンまでやってましたからね。そんな人に限って、子供が4人もいるんですから…びっくりでも、ちゃんとNanny(ナニー)がいる大金持ちでした。アジア系アメリカ人はそんな人ばかりですよ、あっちは~。
携帯に電話するといつも
      「ヘイ、ヒロチャン!!」ガハハ
て、話が弾みました。
(英語力の関係上私が2割、彼女が8割話す)

ところが、2年目後半あたりから、私たちは雁行陣ですから並行陣の強いペアには勝てなくなってきました。ビミョー彼女の強力なストロークも前衛のツボに結構、はまってしまってボレーされるんですね。私のボレー、スマッシュも決定力に欠けていました。そういう相手には私たち2人でベースラインにステイして、ひろいまくり、ロブ攻撃ですね。勝つにしてもしんどい試合でした。冷や汗
私自身も、並行陣でプレーしたいという気持ちが強くなっていきました。

火曜日のリーグはどこかのクラブに所属しないとできませんでした。ステイタスの高いリーグえっへんだったのでやっているだけでカッコいいと一般的に思われていました。

私も、帰国がもうすぐだろうし(夫を言いくるめて)あるクラブに入ることにしました。そして、クラブのチームにサブでもいいかという気持ちで、サインナップしました。

 そこに、新しいパートナーとなる、日系アメリカ人、ボニーがいました。彼女は、すでに白人のパートナーと、私がサインナップしたチームのLine1(No1)で、バリバリプレーしている存在でした。

 たくさん書きすぎました。 
 つづく にさせていただきます。いつ、終わるんでしょうか?カンタン
USテニスライフ | 投稿者 ひろちゃん 09:39 | コメント(13)| トラックバック(0)

(第1話)パートナーを変えるとき

ダブルスのパートナーって、結婚相手と同じだね。」
とテニス友達とテニスの後よく話しました。

アメリカから帰国前の約4年間、主に2つのリーグでプレイしていました。期間は9月から3月までで、パートナーは固定です。1チーム、4ペアが試合にでてチームの勝ち数で順位が決まります。
前半の2年間、後半の2年間それぞれ違うパートナーと組んでいました。2年間同じ人とプレーし続けるのは、性格の相性、勝敗のこともありますし、なかなか難しいことだと思います。しかし、それができたのは、我ながら誇れることだと思っています。

最初のパートナー、メアリーは台湾系アメリカ人で、軟式の経験者でした。私がテニスをしているところをコートで見かけ、声をかけられました。彼女は握りが厚くテイクバックした時ラケットの面が地面と平行になってそこからくりだされるストロークはすごく威力がありました。彼女が、セットアップして私が前で決める、というのが私たちのパターンでした。強い相手には彼女は常に後衛にステイします。私がサーブのときはすでに彼女はベースラインにいて、私はサーブを打つとそのまま前衛にいきます。2年間そのパターンで、出るリーグのレベル、自分たちのチームでのポジションも上がっていきました。

性格的にも姉御肌のメアリーえっへんと、平和主義の私にっこり(どんな性格?)合っていて、公私共に楽しく過ごしていました。金髪碧眼の白人女性に文句を言われても、彼女はちゃんと言いかえしてくれました。
   「Hang on there.(がんばろう)」
   「Be patient. (辛抱づよく、ねばろう)」

これが、私たちの決まり文句でした。このころは、私たちはアメリカ人のパワーショットをひろいまくって、メアリーのセットしてくれるチャンスボールを私が決める。というパターンで勝っていました。

彼女は姉御肌なんですが、お茶目なところもありました。球を打つ時気合が入るので、シャラポワのように声がでるんです。それが「うるさいっ」て、時々クレームがつきました。また、彼女はどんな球でもあきらめないんで、ボールを追ってすごく走るんですがその後、止まれなくて、フェンスまで行ってしまって、広いコートを私一人が
    「さあ、こいっ!」
て守る羽目になってしまったり。
 (彼女とは、笑いあり涙ありの2年間を過ごしました。)

しかし、上のレベルに上がった時、私たちは段々勝てなくなってきました。そのころ、私は、あるクラブの会員になりました。そこで新しいパートナーに出会います。

          続きはまた明日。スマイル
USテニスライフ | 投稿者 ひろちゃん 10:21 | コメント(12)| トラックバック(0)

自分のレベル

 週1通っているテニススクールに、定期的に「試合のお知らせ」が貼り出されます。そこに、BC級とかオープンとかレベルが書いてあります。同じクラスの人に自分のレベルはどうやって、判断するの?ってきくと「自己申告」といわれました。負けを承知でオープンにでてもいいし、賞品をもらうためにレベルを落として出ている人もいるよ(ただし優勝すると次回は出れない)、とのことでした。多分、日本テニス協会などが主催する試合は何かきちんとしたレベルの規定があるのでしょうね。

 アメリカにいた時は、USTA(USA Tennis Association)に年会費$40で登録して、自分のレベル(Rating:レイティング)をテストを受けて決めてもらわなければ試合に出れませんでした。クラブで主宰される試合にもこのレイティングが採用され、レベルがあっているかチェックされました。

 3.0ぐらいから0.5刻みで6.5ぐらいまでありました。4.0が上中級、4.5が上級でしょうか。5.0(超上級?)になると学生時代ランキングを持っているような人ばかりでした。一般の人は殆どの人が3.0~4.5に入っていたと思います。

 私が最初入ったチームが4.0のチーム(3.5~4.5の選手が入れるチーム)だったんで、地図を片手に車でテスト会場まで緊張しながらいきました。4.0のチームは4.0以上のリーグに出れます(ただし、4.5の人がいたら4.5以上のリーグに出ねばならない)。
 30分ぐらい4人ごとにダブルスをして、審査員がその様子をチェックして、後日、葉書で結果が着ます(Visual Rating)。その時私は4.0には無事認定されました。秋春のリーグを終えて、1年後その勝敗でコンピューターが次の年度のレイティングをはじきだします(Computer Rating)。上のレイティングの人に何度か勝つと自分のレイティングがあがります。2年目に4.5にレイティングが上がりました。
 その後は、勝ったり負けたりで4.0に落ちたり4.5に戻ったりしていました。
 5.0の人とやった時はもう、赤子の手をひねるように、やられました。でも、すごい人とやるだけでもいい経験ですよね。アメリカ人の5.0の人って、気質もすごくきつかったですね。それだけ強い精神力を要するレベルなんですね。
 
 また、気の強い、金髪碧眼の奥様方の顔ざまあ見ろが、浮かんできました~…
 それではまた~スマイル
USテニスライフ | 投稿者 ひろちゃん 11:12 | コメント(8)| トラックバック(0)

恐怖のラインコール

 ラインコール、簡単なようであり、非常に難しいですね。特に試合で競っている時には、それで、流れが変わってしまうので慎重にコールしないと怖い目にあいます。
 アメリカのリーグで私が学んだのは
  「あやしきは 見逃せ」でした。

 ペアが、レシーブする時、もうひとりは、ペアのためにコールしますよね。速いサーブは、ラインにかかっているかアウトなのか、よくわかりません。「No!,フォルト」とコールして、すごい剣幕で怒られたこと何度かありました。ネットまで歩いてきて、睨みつけられ、うるせーあるときには
 ”Do you swear to God?”
       (神に、誓えるか)

って、どすの入った、英語とともに、にらまれました。でも、震えながら、コールはかえませんでした。
 
 まいったのは、パートナーが、相手のすごいスマッシュを「OUT!」と、コールした時、「なに~?」とすごい剣幕で怒ってきて、私たちがハードコートの、ここに、ラインの外に跡が残っている、と反論したんですが、”ボールが地面に落ちたとき圧縮されてラインにかかった(英語で何といわれたか、明確に覚えてません)”と、絶対譲らず、15分ぐらい言い争ったあげく(私はもちろん、無言です)ポイントやり直しとなりました。そいつは金髪白人のキャシーという女です(思い出して、怒っている)。結局、その試合、すごく競って3セットまでやって負けました。

 そして、今日の1句 
  ちょっとまて そのラインコールが 死をまねく
   (字余り)やっちゃったぁ
USテニスライフ | 投稿者 ひろちゃん 10:36 | コメント(9)| トラックバック(0)

日曜日

先輩の応援
 今日は日曜なんですが、また、朝早くから起きてごそごそしています。高1の長男が、先週に引き続きテニスの試合があるからです。しかし、彼は先週負けてしまったので、今日は先輩の応援らしいです。が、朝から雨。1時間以上かかるんで近所に住む友達からの連絡待ちです。彼は先週、アンダーサーブしか打たない相手に、涙のタイブレーク負けをしてしまいました。悔しがってました。学べよ~。

3時間の死闘の後の、相手の棄権
 アメリカにいたとき日本人の友達と、トーナメントに出ました。そのトーナメントの名前は”Top Gun(トップガン)”トムクルーズがでてきそうな、かっこいい名前でしょう。
 7-6,6-7,4-6で結局、負けちゃいました。でも、3時間ぐらい戦って、すごく疲れて、悔しかったけどしょうがありません。相手もフレンドリーだし強いし、いいペアでした。
   ”Good Luck,tomorrow!”、”OK,OK”
とエールを送り、友達と、慰めあいながら帰りました傷心

ところが、しばらくして、あのペアはどうなったかと、結果をサイトで確認してみると…、ナニー、きっ、きけーん(棄権、デフォ負け、エーッ!)ショックでした。あの3時間はなんだったんだ。棄権するなら前の日の私たちの試合でしてよ、っていいたかった。後日、その人に会ったんで、”なんで、デフォしたの~?、Why?,Why?”ってきいたら”次の日、ハワイに旅行する予定だったから、ソーリー、ソーリー”と、あっさりいわれてしまいました。なにが、”OK,OK”じゃ!!プチ怒りモード

   まあ、私たちが、勝てばよかったんです(涙。

みなさん、試合の計画は、余裕をもってたてましょう。
それではまた~。スマイル 
USテニスライフ | 投稿者 ひろちゃん 08:40 | コメント(11)| トラックバック(0)

日本語を覚えるアメリカ人

きのうの記事に、アメリカで日本人の名前がなかなか覚えづらい、という記事を書いたんで、今日はついでに、アメリカの友達が覚えてくれた日本語についてちょっと書いてみます。

"アリガトー、コンニチハ"とかあいさつ程度なら、たくさんのアメリカの方も知ってます。私のテニスクラブでは、日本人の私たちが発する日本語を聞いて、覚えてしまう友達がいました。
自分の失敗に対して、自分に”バカッ”って言ってしまうことってありますよね。クラブの日本人のプレーヤーがけっこうこれを思わず発していました。アメリカ人の友達が私が失敗すると”ヒロチャン、バカッ”っていうんです。

それと6-0,6-0で負けたり勝ったりすると”だんご(団子)で負けた、勝った”といいますよね。これをアメリカ人の友達が覚えて”と言っていました。友達が言うに、アメリカではダンゴの代わりに”べーグル”というらしいんですが、ほんとかなあ?

電話をとったら”ハロー”と言いますよね。かたや、”ハロー”は日本語で”こんにちは”ですよね。なにを勘違いしたのか、私にモシシ、ヒロチャン”と話しかけてきた友達がいました。きっと”こんにちは、ひろちゃん”といいたかったんだと思います。

ということで、今日は水曜日、テニスではないんですが今日は友達とエキササイズしてきま~す。スマイル

USテニスライフ | 投稿者 ひろちゃん 09:09 | コメント(8)| トラックバック(0)

試合の前のごあいさつ

こんにちは。昨日のサッカー、サムライブルー日本残念!!やっちゃったぁでした。次、頑張ってもらいましょう。日本のねばりを見せてちょうだいって感じです。

ワールドカップを見て、テレビの下に日本選手のラストネームが英文字で出たとき、日本人の名前って、外国の人に読みにくいだろーな~、と思ってたら、自分がアメリカでマッチしてた時のことをちょっと思い出してしまいました。

試合の前、相手と自己紹介しますよね。
I’m Mary, nice to meet you.”とか何とか言って。やっぱり”I’m ヒロチャン”って言っても、"ハー?"みたいな感じで、"キヨチャン?"、"ヒヨチャン?"やっと、わかってくれても、もう、試合の途中で忘れられた、なんてことよくありました。さすがにリーグで何度も会うとやっと、覚えてくれましたけど。その時、相手の性格がわかるっていうか、はなから、覚えようとしない人もいましたね。そういう時は、燃えましたね!!永住の台湾人や韓国人の方はたいがい、アメリカンネームを持ってました。"ミッシェル"とか"キャサリン"とか、かっこいいんで、うらやましかったけど、なんかしっくりきませんでしたね(笑。アジア系の女の子で人気がある名前は"ティファニー"と"ジェニファー”ですね(かっわいーハート)。

うちの息子が、テニスレッスンを取っていたとき、アメリカ人は息子の名前がうまくいえなくて(特にラリルレロ)いつの間にか"Sushi Boy(スシボーイ)"って呼ばれてて、怒ってましたプチ怒りモード

ちなみに、夫たちも職場で、名前がアメリカ人にわかりやすいようにアメリカンネームをつけてました。自分の頭文字から始まる名前をつけて、"次郎"さんが"ジョージ"とか、"和夫"さんがが"ケビン"とか、????ってかんじでしたお前なぁ。スネオさんでも"スティーブ"になっちゃうんですよ(それはないか?)。

でも、今は、日本人もテニス、サッカー…世界で活躍してるんで日本人の名前も、親しみやすくなってうれしいです。

それではまた~ワハハ
USテニスライフ | 投稿者 ひろちゃん 09:13 | コメント(4)| トラックバック(0)

明日は滋賀県

 いよいよ、明日は滋賀県に住む、テニス部の先輩に会いに行く日です。そこで、はっと気がついたのが"お土産"です。今日中に買っておかねば明日朝早いし、買う暇ないぞ。
神戸のゴーフルなど、今日中に買っておこうと思います。
 明日の天気も大丈夫みたいですスマイル。テニスを再開してから天気には恵まれています。日ごろの行いのいい人は…って言いますよね。子供の卒業式や入学式はことごとく雨だったんですが。

 先日、コメントでリュリュさんが"アメリカのリーグは女の戦いですか?”というコメントがありました。"ハイ、まさにそうでした。”その事を、ちょっと思い出してみます。

シーズンの初め編
 1チームは14人で、7ペアいます。そのうち、試合に出れるのは4チームです。リーグは9月から3月まで約半年間。毎週1回試合があります。このリーグの結果でそのクラブのレベルがわかるので、どのクラブもまじめにサポートしていました。リーグの数はD~Aで、各リーグはさらに3つに分かれていました。
 8月末にどのペアがでるかチーム内で試合をします(Round Robin ラウンドロビン といいます)。1位から4位(Line1:ライン1~Line4:ライン4)が試合にでれて、後の人はサブとなります。しかし、その後、サブのペアは1位から4位までのどのペアにでもチャレンジマッチを申し込めます。勝ったらそのポジションにはいれます。当然したにずり落ちてサブになるるペアがいます。申し込まれたのを断ると負けとなります。そこで、挑戦相手が何か用事があるときわざと、挑戦状をたたきつけたり、旅行している間に申し込んだりと当たり前のように行われていました。それも、挑戦者のほうが試合の日と時間を2日あたえ、それに24時間以内に返答しないと、負けとなるんです。どうしても試合に出たい人はひどいことしてましたね。
 チームのメンバーが、いい人かそうでないかで、シーズン中が天国かスマイル地獄かまいったぁきまりました。
 他のチームとの戦いの前に自分のチーム内でも戦いがあるんです。

私も、私のペアが旅行中にチャレンジを受けて、こっちは英語もままならぬ状態で、困ったことがありました。

まあ、これは序の口なんでまた、思い出したら書いてみたいと思います。

それでは、明日、行ってきま~すワハハ
USテニスライフ | 投稿者 ひろちゃん 09:22 | コメント(3)| トラックバック(0)

声かけ

 ふぇでらさんの昨日の日記に"声かけ"のことが書いてあったので、そのことを思い起こしてみました。

 ダブルスの試合のとき、パートナーとのコミュニケーションはすごく大事ですよね。来た球をどちらがとるかとか、失敗したときのリカバリとか、試合の勝敗にかかわってきますよね。自分の失敗を、過剰にパートナーに謝って返って、逆効果になってしまったり。

 アメリカでは、自分の球だと思ったら”Mine!”¥または”I got it!"相手だと思ったら”Yours!”って叫んでました。
 私のある時期のパートナーで、自分がとれない球が、全部”Yours!”で、私、コートを走り回っていたときがありました冷や汗。でも私たちとってもいいコンビだったんですよ。

 励ましあうときは”Hang on there.(ここでがんばろ)”とかいってました。まあ、私の場合語彙が少ないんでいつもワンパターンだったんですが、言葉の問題があっても気持ちで何とかなるもんだと思いました。

 へーっ、こう言うんだ~っていう表現があったんです。それは"あの二人は、いいペア(相性)だね"て言うとき”They are good chemistry.”というんです。Chemistryって化学という意味なのに”性格、相性”という意味があるんですね。この言い方結構、よく耳にして覚えました。

 早く、パートナーとGood chemistryになりたいでーす。スマイル
 
USテニスライフ | 投稿者 ひろちゃん 09:36 | コメント(6)| トラックバック(0)
ひろちゃんの独り言
  9月 
台風!警報!(((n;‘Д‘))η きをつけよ!




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