2006年07月15日
(第5話)パートナーを変えるとき
新しいシーズン(2004年9月~2005年3月)に向けて、Bチームへのサインナップが始まりました。それは2004年の4月でした。ボニーと私はもちろん、サインナップしました。他のメンバーも殆ど同じ顔ぶれでしたが、Line2だった金髪美人2人組みは、チームを去っていきました。彼女たちは前回のリーグでAプレーヤー(前回の記事参照)になるのが目標だったのですが、それが果たせず気持ちを切り替えたいようでした。キャプテンの意見で、去年のままのラインナップにしようということになりボニーと私はそのままLine1で、プレーすることになりました。
前シーズン、優勝したので今回は、楽しくプレーしたいと、みんな、思っていました。しかし、最下位2チームは下のリーグに落とされるので、それだけはまねがれたい、とも思っていました。
2年目に入って、ボニーと私はより以心伝心状態になりました。私たちは並行陣でプレイしていましたが、ボニーはとにかく前に行くのが好きで、地を這うようにいつの間にか私の隣に来ていました。リターン以外、ストロークをしないといっても過言ではありませんでした。フットワークがいいんです。そのくせ、ロブで頭上を抜かれても、ベースラインまでもどっていき高~いロブを返します。でも、そんなボニーと私が、1セット落とした後は2人でベースラインにステイしてストローク合戦をやってみたり、負けている時は何か違うことをやってみる事を前シーズンの経験から学んでいました。
また、新しい試みとしてI(アイ)-フォメーションサーブを、とりいれました。私はサーブに自信がなく、自分のサービスゲームをよく落としていました。しかし、このI-フォメーションサーブはスピードより、コントロールが大事だったので私には合っていました。I―フォメーションサーブはご存知だと思いますが、サーバーと前衛がIの字のように重なります。サーバーは、ベースラインの真ん中からサーブし、前衛はセンターラインをまたいでサービスライン上あたりに体勢を低く構えます。ここでも前衛は、「Go」(ポーチ)か「ステイ」かシグナルを出しサーバーはサービスをした後、前衛の動きと基本的には反対側斜め前に動きます。
このI-フォメーションサーブは、ピンチの時、チャンスの時、相手の動揺を誘い流れをこちらに向けることができました。どこにリターンするか迷ってネットするレシーバーも結構いました。このサーブのおかげで、ますます、私たちは「いやらしいテニス」をするという評判がたちました。
12月の始めにリーグの前半が終了します。クリスマスとニューイヤーを迎えて、後半が始まります。私たちは11勝2敗で前半を終えました。全試合26の内、21回勝てば、私たちはAリーグにいけます。
しかし、前半の最後の試合で、私は足を痛めてしまいました。1セットをとって、2セット目の始めでふくらはぎを軽くですが肉離れしてしまいました。ボニーは棄権しようといってくれましたが、そのまま続けてなんとか勝てました。ボニーがひとりでコートを走り回ってくれました。
しかも、私の負傷に加えて12月末、夫に3月に帰国という内示もでてしまいました。
ピンチです!
ここで、つづく にさせていただきます。
ご拝読ありがとうございます…
前シーズン、優勝したので今回は、楽しくプレーしたいと、みんな、思っていました。しかし、最下位2チームは下のリーグに落とされるので、それだけはまねがれたい、とも思っていました。
2年目に入って、ボニーと私はより以心伝心状態になりました。私たちは並行陣でプレイしていましたが、ボニーはとにかく前に行くのが好きで、地を這うようにいつの間にか私の隣に来ていました。リターン以外、ストロークをしないといっても過言ではありませんでした。フットワークがいいんです。そのくせ、ロブで頭上を抜かれても、ベースラインまでもどっていき高~いロブを返します。でも、そんなボニーと私が、1セット落とした後は2人でベースラインにステイしてストローク合戦をやってみたり、負けている時は何か違うことをやってみる事を前シーズンの経験から学んでいました。
また、新しい試みとしてI(アイ)-フォメーションサーブを、とりいれました。私はサーブに自信がなく、自分のサービスゲームをよく落としていました。しかし、このI-フォメーションサーブはスピードより、コントロールが大事だったので私には合っていました。I―フォメーションサーブはご存知だと思いますが、サーバーと前衛がIの字のように重なります。サーバーは、ベースラインの真ん中からサーブし、前衛はセンターラインをまたいでサービスライン上あたりに体勢を低く構えます。ここでも前衛は、「Go」(ポーチ)か「ステイ」かシグナルを出しサーバーはサービスをした後、前衛の動きと基本的には反対側斜め前に動きます。
このI-フォメーションサーブは、ピンチの時、チャンスの時、相手の動揺を誘い流れをこちらに向けることができました。どこにリターンするか迷ってネットするレシーバーも結構いました。このサーブのおかげで、ますます、私たちは「いやらしいテニス」をするという評判がたちました。
12月の始めにリーグの前半が終了します。クリスマスとニューイヤーを迎えて、後半が始まります。私たちは11勝2敗で前半を終えました。全試合26の内、21回勝てば、私たちはAリーグにいけます。
しかし、前半の最後の試合で、私は足を痛めてしまいました。1セットをとって、2セット目の始めでふくらはぎを軽くですが肉離れしてしまいました。ボニーは棄権しようといってくれましたが、そのまま続けてなんとか勝てました。ボニーがひとりでコートを走り回ってくれました。
しかも、私の負傷に加えて12月末、夫に3月に帰国という内示もでてしまいました。
ピンチです!
ここで、つづく にさせていただきます。
ご拝読ありがとうございます…